最近、感覚の敏感さを訴える人が増えています。掃除機の騒音が苦手とか、まぶしい光の下では目が開けられないとか、布団の重みに耐えられないとか、症状は人それぞれですが、そのために疲労困憊してしまう点では共通しています。エアコンの低い振動音や携帯電話の磁気で、頭痛や吐き気が起こるという人もいますね。そのような極端な感覚過敏が生まれつき見られる人のなかに、自閉スペクトラム症(ASD)と診断される人たちが少なくありません。ASDにおける感覚の問題は、その当事者にとっては最も切実な「困り感」の一つです。しかも、生まれつきの特徴であることから、当事者自身も他の人たちとの違いをなかなか気づきにくいために、「困り感」の原因として見逃されてきたのでした。例えば、聴覚過敏のある当事者は、繁華街の喧騒の中を他の人々が平気な顔で行き来していることに、「みんな、がまん強いんだなあ」と思っていたそうです。
近年、ASDの感覚の特徴が支援にたずさわる人たちにも広く知られるようになったのは、良いことです。周囲の正しい理解は、支援の基本であり、当事者の対処行動を促すことにもつながります。教育における「合理的配慮」が進み、学校でも感覚刺激を減らすような環境調整やツールの使用が認められつつあります。ただ、感覚の問題に対する支援や対処が、それでも難しいのは、単純に感覚刺激をコントロールすれば解決できるわけでもないからです。
当事者によると― あくまで思春期以降の人たちに限った話かもしれませんが― 全般的に感覚過敏には波があって、なにも苦痛に感じない日もあれば、ひどく敏感で疲労困憊してしまう日もあるそうです。そのきっかけは、天候に左右されることもあれば、体調やメンタルの状態(心配事やストレス)の影響も大きいようです。それも個人差が大きいのですが、睡眠と食事の状態が重要であるらしい点では一致しています。
ASDに伴う睡眠障害に対して、医療機関では睡眠薬が処方されることが多いのですが、どんなタイプの薬にも副作用がつきもので、感受性の強い当事者ではさらに厄介な問題が引き起こされることも少なくありません。生活全体のリズム調整という視点で対策を考えたほうが良いように思います。
食事の工夫も大切ですね。当事者活動家である片岡聡さん(東京自閉症協会)は、ケトン食やグルテンフリー食による感覚過敏の改善事例を報告しています(『こころの科学』二〇七号、三九‐四三頁、二〇一九年)。しかし、それは「自身の身体の声を素直に聴き、行動を変えること」の試みの一例であり、決して「○○をすれば感覚過敏が治る」と主張しているのではありません。彼によれば、ASDは「免疫や代謝など内科的な問題で定義可能と思えるほど、全身にわたる多彩な特徴がある状態」だそうですが、僕もまったく同感です。そして、感覚過敏は 「この環境では健康に生きられない。環境を変えるために行動しなさい」という身体が発するポジティブなメッセージだといいます。
感覚過敏とは、実は当事者にとって周囲の環境が良いものかどうかを本能的に察知するレーダーのようなものなのです。すなわち、本来、誰にも備わっている「いのち」を守るためのレーダーなのです。そのレーダーの感受性がひときわ優れているのが、ASDの人たちです。ということは、今日のASDの頻度の増加は、僕たちを取り巻く世界の環境が、急速に悪化しており、誰の「いのち」にとっても危険な水準に達しつつあることを示しているのかもしれません。ASDの感覚過敏は、「いのち」の危機を警告しているのです。