アンセム
心理臨床家になるつもりはありませんでした。
こう書くと「お前なんぞ、心理臨床家と名乗るには早い」という声が飛んできそうですが、一応、学生相談と研究を職業としているので、ここでは許してください。そんな私がなりたかったもの、それはサッカー選手。今回は、本気でプロを目指したからこそ心理学に出会い、今もサッカーから多くのことを学んでいる私の話にお付き合いください。
前半:「何で?」の先にあった心理学
私が心理学に関心をもったのはサッカーがきっかけでした。小中学校とそれなりに強いチームに所属していたのですが、大切な試合で個人としてもチームとしても結果を出せない経験を数多くします。「何であそこでミスったんだろう」、「何で力を発揮できないんだろう」、そう考えた先に私が辿り着いたのは"メンタル"でした。技術や体力もさることながら、不安、緊張、モチベーション等々、心がパフォーマンスへ与える影響に強い関心を持ったことが、私と心理学の出会いでした。
もう一つ、エピソードを。私は某Jクラブのユース(高校生)チームの最終選考で落ちています。言わば挫折体験です。それでも夢は諦めず、大学も学業2、サッカー8の理由で進学し、入学式の次の日から四年生の十月まで週九回の練習(誤字ではない)に明け暮れましたが、結局プロにはなれやしませんでした。大学生にもなると自分には難しいとの認識はありましたが、それでもサッカー選手としての死を迎えることは辛い体験でした。ただ、同期は五人がプロになり、中には一浪して入学し、プロになった人もいました。そんな彼らや他のプロアスリートを見て感じたのは「何で挫折を乗り越えた人は強いのだろう?」でした。そして同時に「自分も挫折を経験したはずなのに、何で成長できた実感がないのだろう?」という自分への不全感や苛立ちもありました。やがて、それは「人はどう悲しみや苦しみを乗り越えるのか」という知的好奇心に変わり、博士論文のテーマにもなりました。
臨床心理学を志した理由としてはマイノリティな感じもしますが、サッカーに本気じゃなければ、私は心理学にも関心を持たなかったように思います。
ハーフタイム
勤務校で、とあるオムニバス形式の授業(教養科目)を担当したことがあります。専門領域に絡めて好きなことを話していいというお題だったのですが、シラバスを「サッカーを心理学で読み解く」で提出しました。実はこれ、建前でつけたタイトルでした。当日は完全に「心理学をサッカーで読み解く」という内容で、心理学の理論や実験を"サッカーで言うなら"と映像資料も交えて話しました。この講義を通して私は「自身の専門領域を専門領域以外から見つめることの大切さ」を伝えました。
後半:「何だろう?」の先にあるサッカー
現在の私は、トレーニング理論や戦術に注目しています。これは大学一年から九年間、小中学生のサッカーチームでコーチを務めた経験も影響しているかもしれません(写真)。近年のサッカー界は驚くほど「科学化」が進んでおり、その最先端をいくのが構造化トレーニングと戦術的ピリオダイゼーション理論と言われています。私にとって前者は精神力動的な考え方、後者は認知行動療法のプロトコルに相通じるものがあります。他にも発達障害者支援はファルソ・ヌエベの視点を欠くことはできないと考えますし、学生相談に身を置くものとして、大学組織の中でのプレゼンスを高めるためにはポジショナルプレーにおける三つの優位性を意識することは有効でしょう。……はい、みなさんの目が点になりましたので、この辺にしておきます。ここが通じる方、ぜひ一度お話したいです笑。ケースや研究で「何だろう?」と行き詰まった時、サッカーで考えることで私の頭は解放されます(現実逃避となるだけのこともあります)。
今回のお題「こころのリフレッシュ」という視点では、サッカー観戦は私にとって最適な手段です。一流選手のプレーを見ることの喜びはもちろんですが、私は観客席を見ることも好きです。悲喜こもごもの表情から、その人の人生模様を勝手に妄想したり、大観衆が大声でチャント(応援歌)を歌う姿に感動したり、ライブ観戦には選手のプレーを観ること以外にも多くの楽しみ方があります。特に昨今はコロナ対策で声を出しての応援が禁止されているため、拍手と手拍子だけで想いを合わせ、選手に伝える様子は心震えます。
今の私は、プロを目指していた頃とはちょっと違う視点でサッカーと関わるようになったからこそ、多くのことを学び、楽しみを得ているように思います。
アディショナルタイム
きっと、サッカーを生業とすることに執着し続けていたら、私は苦しかったと思います。何より私には実力が不足していました。そして、プロアスリートになることは栄誉と名声を得られますが、引き換えに心身ともに非常にストレスフルで、多くの犠牲も伴います。その覚悟が私にあったかは今になって思えば定かではありません。しかし、心理臨床家になったことで、私にとってのサッカーは日々の臨床や研究で発想のヒントを与えてくれるものとなり、「こころをリフレッシュしてくれるもの」となりました。だからこそ、私はこれからも心理臨床家として歩んでいきます。そして、いつかはサッカーと心理臨床で複業できたらいいなと思っています。