忘れたくない。

 「忘れたいわけではないんです。赤ちゃんのことを話したいし、聞いてほしい。でも話せない。」

 赤ちゃんとお別れしなければならなかったご両親からたびたび聞く言葉です。周産期死亡率が少なくなっている現代日本では流産や死産は日常的に話題に上ることはあまりなく、社会的文化的に、聞かないほうがよいこと、話しにくいことと捉えられる風潮があります。そうなると、「話したいが話せない」という状況になり、孤独感や理解のしてもらえなさから一層辛い思いをしたり孤独感を抱いたりする方も出てきます。

話してもよいし話さなくてもよい。自分のペースで。

 「話す」ためには「聞く」人が必要になりますが、聞く側の姿勢がどのようであるかによって、話す側の「話を聞いてほしい」という思いは揺れ動くでしょう。また、当事者自身が「まだ今は誰かに話すのは少し怖い」と感じ話さないこともあるのではないでしょうか。言葉にするのは勇気が必要なことです。話すことで自分自身の心の揺らぎがどれほど大きくなるのか分からないという不安や、相手を困らせてしまわないか、相手の反応に自分自身傷つかないか、といった気持ちや考えが湧きあがってくることもあります。また、そう簡単に言葉にはできない思いがたくさんあるかもしれません。それらを少しずつ整理したり言葉にのせたりすることは当事者自身にとっての助けになると思います。しかし、無理に話す必要はもちろんなく、大切に自分の心の中においておくことも出来ます。ただ、話したくなった時に、安心して話せる場があることはとても大切です。

ずっと想っていたい。

 流産や死産は「妊娠の終了」「出産に至らない」ということですが、当事者にとっては「お腹の中のこの子を喪う」体験です。流産や死産は大切なわが子の喪失なのです。そのような大切な存在を「忘れたいわけではない」のは当然のことです。人によっては、「自分が元気になってしまうことは、赤ちゃんを忘れてしまうことであるような気がして、元気になることに抵抗がある」ということをおっしゃる方もいます。悲しみや悼みがあるのは、やはりお別れした赤ちゃんがそれだけ大きな存在であるからだと、流産や死産をなさった方のお話をうかがっていると感じます。母親や父親としてわが子を想う温かく優しい想いに触れると、橋本洋子先生が〈妊娠に気づいた時点から、女性はかけがえのない存在としての「いのち」と出会っているのではないかと思う〉(二〇〇六)と記されていたことを思い出します。流産や死産という形でお別れすることになったとしても、親子の関係性や絆が絶たれるわけではないことを私たちは認識している必要があるのだろうと思います。

引用文献
橋本洋子(二〇〇六)「周産期の心理臨床」
臨床心理学(6)732-738.

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