理想と現実との葛藤
「子どもと向き合いましょう」という台詞を私たちは何度聞いたのでしょうか。当然のように「向き合う」ことを要求され、目の前の子どもの対応に追われます。子育てというのは次から次へと対応に追われ、要求が増えたりさらにトラブルが起きたり…気が抜けない時間が続きます。「より良い育児」を追求したり、疲れ果てた先に助けを求めるように育児本やネットの情報を見ては、自分の育児を振り返りため息が出たりするものです。そして慌ただしい一日の終わりに子どもの寝顔を眺めながら、つい子どもに言ってしまった言葉や態度を反省したりします。子どもと向き合えば向き合うほど、私たちはすり減るのかもしれません。
子どもが体験する一日はどうでしょうか。児童期の子どもたちは大人から要求されることが増え、ハードルが上がっていきます。今持っている知識を総動員して考え、学び、行動している訳ですから、毎日が必死なのだと思います。お互いに全力で「向き合っている」状態です。今回は視点を変えて「一緒に見てみる」を提案させてください。
発見という体験
子どもに面接をするときや、話をしていると漏れてくるのは「わかってくれない」という思いです。よくよく聞いてみると子どもに非があることもあるのですが、それは心に留めておいて話を続けてもらいます。もちろんそこには子どもなりの思いがありますからじっくりと耳を傾けます。すると「こいつわかるぞ」と判断した彼らは話を続けてくれます。語ってくれる内容には思いもよらない発想や想いが込められている事が多く、そこに新たな発見をしてワクワクします。私はこの発見を「キラキラ」と呼んでいます。子どもたちが生き生きと学ぶ、あのキラキラした目と同じような感覚なのだと勝手に解釈しています。
雨の日にシャボン玉をしたいと提案してきた子どもは「雨の日は湿気でシャボン玉が長持ちし、雨は通り抜けるらしい」という知識を体験ににつなげ、雨の中遠くまで自由に飛んでいく虹色のシャボン玉を見せてくれました。バケツいっぱいに入ったスーパーボールをニヤリと笑みを浮かべてから部屋中にまき散らした子は、自由に跳ね返る無数のボールの面白さや心地よさを教えてくれました。もしかしたら私たち大人は「普通・常識」やその後に起こる「大変さ」に気を取られて、多くの発見や体験のチャンスを逃しているのかもしれません。「一緒に見てみる」事は私たちの気づきも広がりを見せ、キラキラを体験させてくれます。
教えてくれる子どもたち
子どもの発達において「安心・安全である」ということは心理学の視点からも神経科学的な視点からも重要であると言われています。規則や社会的ルールを守ることも大切ですが、子どもが安心して自分の意志を伝え否定されず、大切に扱われるという経験も重ねて欲しいところです。「向き合う」事で見落としてしまう事も、「一緒に見てみる」事で子どもの発想や想いに大人が気付かされる事もきっとあると思います。床に寝転んで動かない子どもを前に困り果てたときは、一緒に寝転んでみると新たな発見があるかもしれません。もしかして子どもが知って欲しいのは床の心地よさかもしれないし、もう何もかも嫌で困っているこの感覚なのか…一緒に体験してみると発見につながります。子育てはやはり大変です。困ったときこそ「一緒に見てみる」、そして一緒に困っても良いのではないでしょうか。私たちは「教える」と同時に「教わる」事もあることを知っておくと毎日の発見が増え、子育てがキラキラしていくかもしれません。