野田サトル〔著〕集英社

 このコーナーではじめてマンガを取り上げます。国立大学に附属国際マンガ学教育研究センター(熊本大学、2022)が設置される時代ですし、こころを描くメディアに貴賤はありません。親しみやすく、若い世代にも届くことを願っています。
 『ゴールデンカムイ』(2014〜2022)は、大英博物館Manga展(2019)のキービジュアルに選ばれた冒険活劇です。選択理由をルマニエール博士は「ダイバーシティの理念を体現する」*1と述べています。心理臨床として読み解くポイントを3つ論考します。
 まず気づくのが徹底した「他者の文化の尊重」です。物語は主人公の杉元が日露戦争から復員後、北海道の山林で窮地に陥り、アイヌの少女アシㇼパに命を救われる出会いからはじまります。極寒の地で生きるには智恵が必要です。新鮮な動物の肉からビタミンを摂取しなくてはなりません。なかには食べ慣れないものもあるのですが、しかし杉元は戸惑いながら素直に、あるがままに咀嚼します。口にしない選択肢ははなからないようです。なぜならアシㇼパが美味しそうに食し、また食事に対して「ヒンナ」と言って感謝をささげるものを遠慮するのは、アイヌ文化の拒絶になると直感しているからでしょう。そのアシㇼパも中盤の樺太編で他民族と出会い、「わたしたちはちょっと違ってちょっと似ている」「北海道にいたら知らなかった」とつぶやいています。文化的アイデンティティと新しい世界への適応が両立したエピソードです。
 こういった尊重や信頼と並行して「暴力とトラウマ」が描かれるのも特徴で、読者は感情のジェットコースター状態におかれます。杉元は故郷で結核による差別を受け、戦場では幼なじみの死を目の当たりにしました。その経験を生き抜く精神力に置き換えるように、苦境に立たされた際には「俺は不死身の杉元だ」と自らを鼓舞します。複雑性PTSDの適応機制として4つのF(Fight [闘争]/Flight[逃走]/Freeze[凍結]/Fawn[迎合]; Walker, 2013)*2が知られています。リミッターを越えたFightモードで生き延びざるを得ない悲しさが伝わってきます。と同時に、過去に囚われながら前を向く懸命さが胸を打ちます。
 ゴールデンカムイは「契約の物語」でもあります。動機は違っても、北海道に眠る金塊を見つけるという目標が一致するので、最初は敵側として相対していた人物とも「手を組もう」となったり、旅を続けるなかで背中を預けられる「相棒」となったりします。その関係が時に多重で、腹の探り合いもあるのが物語の面白さですが、身内意識のようなウェットな関係に甘えない心地よさは一貫しています。そのため各登場人物は役目を終えるとそれぞれ成就した姿で別れ、それぞれ選んだ場所にたどり着きます。心理臨床の治療契約で結ばれる目標の共有、金銭、時間、守秘義務、そして終結といった関係と重なるようです。旅の終わりに杉元は「でも変わらなくて良いと思うよ昔の自分に戻らなくても…」「役目を果たすために頑張った今の自分が割と好きなんだよ」とほどよい自己肯定感を語ります。そんな自分を一緒に探すのが、心理臨床の仕事なのかもしれません。

*1 美術手帖「大英博物館はなぜ「マンガ展」を開催したのか?キュレーターが語るその意義」
   https://bijutsutecho.com/magazineinterview/20343
*2 ピート・ウォーカー著、牧野有可里・池島良子訳『複雑性PTSD―生き残ることから生き抜くことへ』星和書店、2023年

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