はじめに

 聞くところによると、この「こころのリフレッシュ」は本誌において久々の復活だそうです。今回は、「心理臨床家はどんなことをしてリフレッシュしているの?」というクライエントや学生さんからのよくある質問に、何らかの答えを返せたらという趣旨です。臨床現場では専門家の自己開示という微妙で複雑な問題も絡んで直接的に示す機会はあまりないかもしれません。私にとっても少しチャレンジングな課題なのですが、思い切って書いてみることにします。私の場合は、「プロレス」についてのお話です。

 プロレスは「やらせ」など様々な意見がありますが、本稿においては「プロレスは一種のアートである」と私なりに定義をしておきます。プロレスは相手に大怪我をさせてはならず、対戦相手の鍛えているところに技をかけたり、相手の技をしっかり受けたりすることも大切なので、勝つことが最終的な目的の格闘技とは違いがあります。とはいえ、しっかりトレーニングをしなければ誰でもできるようなものではなく、真剣さは格闘技のそれと変わらないと思います。そして、この真剣さと日々の鍛錬の重要性は心理臨床実践においても私は全く同じだと考えます。

プロレスの魅力

 私が小学生の頃、男の子たちの間ではプロレスが大ブームでした。今では「プ女子」という言葉があるように女性ファンも多いようです。
 少年時代の私にとってのプロレスは、「強い男への憧れ」とでも言えるものでした。自分にできないことをしている選手たちへの憧れは、同一化と呼ぶにふさわしく、観戦中は自分も選手になり切ったように入れ込んで応援していたと思います。当時のプロレスには今よりも明確に正統派と悪役がいて、感情移入しやすい設定も魅力だったのでしょう。自分の攻撃性の発散もしていたのでしょうし、選手の個性から「取り入れ」もしていたのでしょう。

 さて、紙幅の都合があり、一気に私が臨床家になった時代まで話を飛ばします。私は少年時代とは異なり、「受けの美学」というプロレスに独特なものへの興味が大きくなりました。プロレスラーは「バンプ(受け身)を取ったことがない奴に何が分かる」とプロレスへの懐疑的な意見や評論家気取りの人に対して表現することが多いのですが、「受身」とは心理臨床の神髄でもあります。

 私たち心理臨床家も「ただ話を聴いているだけなの?」「甘やかしているだけではないの?」と言われることがありますが、「受身で話を聴くことの難しさの何が分かる?」と私は言いたくなります。私たちは真剣な話し合いの中で様々な気持ちを抱きつつも、まずは「受ける」のだと思います。そして、怪我をさせない=傷つけない配慮をして発言をします。それに対して、またクライエ
ントが何かの発言という技を掛けてきます。私たちも怪我をしないでしっかりそれらを受け止める必要があります。専門家が傷ついて再起不能になってはクライエントも傷つきます。
 プロレスで言えば観客に当たる存在が、私たちにとってはクライエントの家族や世の中の人たちかもしれませんが、怪我ばかりしている専門家が増えたら、そのカウンセリングという試合は不評なものになるでしょう。適切なコミュニケーションのやり取りが重要だという点で両者は全く一致します。
 こう考えると、プロレスラーの個性や背景にも興味が出てきます。相手のレスラーに腰が引けている選手の技は迫力がありません。私はどうだろうか?と内面的なことにまで考えが及びます。相談室には基本的に自分とクライエントしかいませんから、専門家には自分の内的イメージによる支えも大事です。専門家が訓練セラピーなどを受けて、その内的イメージの意味も吟味できていると更に研ぎ澄まされた感性として利用できるのではないかと思います。

 私個人は「自分の中のプロレスラーの部分」を大事にしていると言えます。もはや趣味と実益を兼ねており、単なる攻撃衝動の発散よりもずっと深みのある趣味になったようです。

物語としてのプロレス―その虚と実…そして人生

 別な側面は、プロレスの物語性です。これを伝えるためには、

プロレスを観るきっかけになった長州力選手について書かなくてはなりません。今ではバラエティなどにも出演して、お笑い芸人が滑舌悪く「キレてないですよ」と物まねしているのを笑顔で見ている人という印象もあるかもしれませんが、1980年代は紛れもなくプロレス界のスーパースターでした。しかし、根っからの正義のヒーローとは少し違っていました。

 当時のプロレスにはある種の序列や「格」が重んじられる風潮がありましたが、長州選手はそれを破った人です。アマレスでオリンピックに出場したエリートとしてプロレス界に入門したものの、人気が出ずに低迷していた時代が10年近くあったそうです。ところが、1982年に格上の選手に突如「仲間割れ」という形で反発したのです。ここで年功序列に悩む人たちや学校で自分らしくいられない子どもたちを中心に爆発的な人気が出ることになります。田崎(2015)はノンフィクション作家の立場で、「これは既に誰かがストーリーを作っていたのではないか?」という類の質問をしていますが、長州選手は明確には答えていません。しかし、団体の長から「このままでいいのか?」と刺激されたことは認めています。全て作られたというわけではなく、長州選手のどこまでやったらいいのかという悩みや考えがその「仲間割れ」に含まれているのが真相のようです。

 自分を作る時期にいた私は、この長州選手の物語に魅かれていったのでしょう。私が臨床家になった年に長州選手は一度引退し、私が英国留学を控えてナーバスになっていた時に現役復帰しました。これだけでも勝手に自分の人生と関係を持たせて想像していくような面があります。2019年に長州選手は二度目の引退をしました。私は長い思春期を終え、大人として私の物語を自分で作ることが要求されているようです。

おわりに

 心理臨床家もクライエントも、自分の物語の主人公です。物語をうまく作れなかったり、壊されてしまった人たちの物語作りをお手伝いする仕事が心理臨床と言えるかもしれません。そのようなことを考えながら、次は本誌で長州選手と対談できたらと勝手な思いを抱きながら筆を置くことにします。


⃝文献
田崎健太(2015) 『真説・長州力』集英社インターナショナル

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