この春で東京から東北に居を移して一〇年になりました。私が生活しているのは仙台という都市で、しかも生活圏は自宅周辺半径三キロ程度ですから、その私が東北について書くなど笑止千万ですが、宮城県臨床心理士会の活動を通じた東日本大震災の被災地支援で感じたことなど、及ばずながら少しでも言葉にしたいと思っています。果たして何ができるのかと思案しつつスタートした被災地支援は、現在まで八年以上にわたって継続されています。

ひとことで「東北」と言うけれど

 東北とは何かをひとことで言うには、東北はあまりに広く多様です。おしなべて東北の風物は素晴らしく、竿灯、ねぶた、七夕といった夏のお祭りは圧巻ですし(本来は厄払いのための祭りだったわけですが、まさに厄を払いたい今年に開催されないというのは皮肉なことです)、豪雪かつ寒冷ゆえの風景や風物も美しく、憧れを搔き立てます。一方で『おしん』とか出稼ぎとか貧困とか米どころとか、首都圏への人的・物的資源の供給地であることも連想されます。そして、東日本大震災の、自然災害であるだけではなく人災としての被災地でもあることも棚上げにはしておけない一面で、苦しんできた地域にさらに苦しいことが起きたのが東日本大震災であるようにも見えます。しかし、そのような見方とは異なる「東北」を私が感じたのは、震災後の南三陸町での支援においてでした。

南三陸町での体験

 南三陸町のことは、ご存じでしょうか。宮城と岩手の県境にほどちかく、三方を山に囲まれた、海沿いの集落がいくつか集まって形成された町です。震災から九カ月ほどして訪ねたとき、海沿いの高架の残骸が頭上はるか高くに残っているのを目にして、この高さを、この鉄とコンクリートの建造物を歪めるほどの圧倒的な威力で津波が押し寄せてきたことを思い、映像での恐怖を凌ぐ息苦しさを覚えました。別の場所では、海の近くの何もなくなった平地に、当地の「きりこ」を模したパネルが並べられ、それは復興を願うだけでなく、この地で亡くなった人たちを弔ってもいるようで、そこに茫然と立ち尽くすしかありませんでした。海を間近にした場所に、人が戻ることなど考えられないさまでした。
 南三陸町に細々と支援でおじゃまする中で、何年も経ってから、海岸のそばで再開された食堂に昼食をとりに行きました。海はすぐそこです。ここでもし津波が来たら︙︙と考えずにはいられません。けれど、次の瞬間に食堂の海側の大きな窓から燦燦と降り注ぐ日差しと、その向こうの広々とした煌めく海が一面に視界に飛び込んできた途端に、ああ、そういう危険があるかもしれないけれど、この海にしくものはないという思いに凌駕されたのでした。
 日々何を目指しているのかは明確でなくても、よりよくなることを志向し、危険を避けて生きることは、いわば当然のことでしょう。しかし、そればかりにとらわれると見失ってしまうものがあります。確かに海沿いは危ないにちがいないのだけれど、より安全に、よりよくというだけでは測れない美しさや豊かさがあることを、私はこの瞬間まで忘れていたようでした。より安全な場所に自分を置くべきだし、努力や方策でなんとかすることも大切です。けれど、当地で主にご高齢の方々のお話を聴く中で、人の作為ではどうにもならないことや、自然に対峙しつつそれを享受する在り方とそれに伴う痛みを私は徐々に知っていくことになったように思います。

東北の豊かさ

 赤坂憲雄(二〇〇九)は、ブナの森に囲まれた土地の豊かさを挙げて、それを基盤に成り立つ生活を後進性とみなすことの誤りを述べています。ブナの森と滋味あふれる海に囲まれ、そこから生きるための糧を享受することを専らとしていたら、ことさらに生産し蓄えるべく、自然を制御する必要はないでしょう。その点で、東北は苦しんできた地域とみなされるべきではありません。しかし、ひとたび、より多くを生産し制御するという視点を持つと、自然のもたらす偶発的にも見える産物に依ることの不確かさにも気づくことになります。
 現代では、自然を享受して生きることのみに留まるわけにいかず、社会保険料や税金を払って、貨幣を媒介とした世の中の仕組みに参入せざるをえません。そして、よりよくあることはそもそも量で測れないにもかかわらず、貨幣というわかりやすい基準で測れるような錯覚をして、その錯覚の分、自然を享受して生きることの価値が見えづらくなっているようです。もちろん南三陸町でも東北全体でも、たくさんの生産と流通があります。その中で、自然を享受する在り方はおそらく、当り前過ぎて普段は見過ごしてしまうくらいの基盤になっているのでしょう。それは、貨幣=量という視点からだけではつかみきれない、東北の豊かさであり、また実は人がだれしも持っている豊かさなのではないかと思うのです。

自然を享受することと心理臨床

 ところで、その人らしさを尊重し、必ずしも「よく」なることを目指すわけではない心理臨床の姿勢は、この自然を享受する在り方と共通しているのではないでしょうか。被災地支援への参加にあたって私には、苦しみを何とかしたいという思いがなかったわけではありません。また、具体的に苦しみを減らそうとする「よりよく」という志向が、「心理」を標榜する人々によっても、もたらされもしました。しかし、それは、とりもなおさず、ありのままであることを認めないメッセージにもなりえたでしょう。心理臨床では、その場にただ一緒にいること、ありのままを受け取ることが大切であるとよく言われますが、それがなぜ大切なのかを震災後の南三陸町での支援を通じて、自然を享受する在り方を知って、改めて考え直すことになりました。宮城県臨床心理士会の支援活動は、何ができるのかと思案しつつの取り組みですが、ただ一緒にいることしかできないからこそ逆説的に、東北の、そしておそらくは人々全般の、基盤となっている自然を享受する在り方を蔑ろにせず、ありのままを尊重することにつながっているのかもしれません。

文献

赤坂憲雄(二〇〇九)『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫

広報誌アーカイブ