カップルの「危機」:危険? それとも機会?

 本誌が世の中に出回る頃、コロナウィルスの問題が世界的にも落ち着いていれば何よりですが、どうでしょうか。これまでの日常と異なる、ストレスフルな状況にさらされると、人々は他者との心のつながり、特に親密な二者関係を希求しやすくなるのでしょうか、ネットによるマッチングサービスが今まで以上に流行っているとか、カップルが前よりも家事や育児などを協力し合い、二人の関係が良くなったとの声も多く聞きます。しかし同時に、「コロナ離婚」という言葉が取り沙汰されたり、また由々しき問題のひとつとして、DVの増悪も指摘されたりしています。まさにカップルにおける「危機」とは、個人の危機よりも「危険」かつ「機会(好機)」でもあるとの二重性を如実に有していること、それが良きにつけ悪しきにつけ、力動的に展開し易いことを痛感せざるをえません。
 真に二人が向き合ったり相手を理解しようとしないまま、また本来は大人間の問題であるのに子どもをだしにしたり、子どもに過重な責任を押し付けて別れるか、または別れないものの、内実はずっと心を閉ざしたままの「家庭内離婚」状態で過ごすだけの「危険」に陥るのか。それとも互いの成長や理解につながるような、また大人が子どもとの心理的な境界を築けたり、双方が納得の上でカップルとしてやり直す、または別れゆくという一歩を踏み出したりする「機会」となるのか。カップルカウンセリングのカウンセラーは、カップルの危機が「機会」となるよう助力する、と言えるのではないでしょうか。

カップルにとって「危機」が機会となるために

 そのためには、カウンセラーはどうしたらよいのでしょう。まずは、双方の不平不満などをよく聴き、その不平不満の根底のところで、何を相手に、また二人の関係に求めているのかを、本人たちと共に丁寧に探ってゆくこと、またカップルが互いに、今までとは違ったモードや心持ちで相手の不平不満などを聴けるようになるための工夫や働きかけを行うこと、このへんが初めの一歩となります。相手に対する不平不満があることは、まだその二人の関係に絶望しきっていないことを端的に示しているのですが、往々に、カップルのご本人たちは、非生産的でしかない罵り合いに終始していたり、一方的な支配・従属関係に縛られていたり、はたまた喧嘩もできずに互いのエネルギーが消耗されるだけの、いわば氷漬けのような状態になっていたりしがちです。
 ですので、不平不満を手掛かりにすることが第一歩とはいえ、いつもすぐにそれを行えるとも限りません。カップルカウンセリングにいらしたことを十分にねぎらいながら、カップルの双方から「このカウンセラーは両方の言い分や思いを大切にしようとする、フェアーな人」と感じてもらい、最低限の合格点をもらえるかどうかが最初の決め手となります。そしてカップルが徐々に、相手への、また自分への凝り固まっていた認知をほぐしていき、さらに自他のリアルな感情を理解し、それを生産的に表現できるようにしていくこと、それらに向けての支援が必要となります。そして対個人のカウンセリング以上に、カウンセラー自身のカップル・家族・性などへの価値観やジェンダー観などについて、そういったものが悪しきバイアスとして作用しないためにも、自己検討が常に不可欠であることを強調したく思います

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