皆さんは音楽の力を感じることはあるでしょうか? 音楽を聴くと、気分が落ち着いたり、体がリズムに合わせて動いたり、昔の記憶やその時の感情がよみがえったりすることがあるかもしれません。このような音楽の力を人の支援に役立てる方法の一つに音楽療法があります。私が最初に音楽の力を感じたのはアメリカで音楽療法を勉強していた時のことでした。

 留学初期の私は、英会話はままならず、英語の歌は覚えたてでアメリカの文化にもなじみがありませんでした。そんな状態ではありましたが、 実習としてユダヤ系の高齢者施設でグループセッションを行うことになりました。案の定、そんなシドロモドロ状態の音楽療法に参加していた認知症の方々の反応は芳しくなく、文字通り「しーん」という感じのこともありました。そこで私は英語ではないので避けていたユダヤの歌に挑戦することを決意しました。ひとまず大学のユダヤ系の先生にイディ
ッシュ語やヘブライ語の発音を教わり、ユダヤの歌を必死で練習しました。そして、ある日のセッションでハバ・ナギラ(Hava Nagila )という歌を恐る恐る歌ってみました。すると、とたんに雰囲気が活気づき、参加者の皆さんはそれまでにないテンションで歌唱活動に参加し始めたのです! 「あの子、私たちの歌を歌っているよ!」と驚いている人もいました。正直なところ、あれは音楽的には良い演奏と言えるものではありませんでした。それにもかかわらず見られた参加者の劇的な変化がとても印象に残りましたし、「音楽の力ってすごいなあ」と素朴に思いました。

音楽の力とは

 しかし、今となってはアメリカでのこの経験は果たして「音楽の力」によるものだったのだろうか? と疑問に思います。劇的な変化が見られましたが、それは音楽ならなんでもよかったというわけではありません。あの時、参加者にとっての「私たちの歌」を提供したからだと思いますし、「私たちの歌」をアジア系の学生が歌っているという意外性や生演奏で歌が提示されたことなども関係していたかもしれません。
 つまり、「音楽の力」には音楽の受け手側のさまざまな背景や音楽を聴く状況も関係するのです(Hargreaves & North, 2010 )。さらに複雑なのは、聴くという行為のみならず、自ら演奏すること、創作すること、他者と音楽体験を共有することによっても「音楽の力」は発揮されることがあります。すべての人に同じ効果をもたらす音楽は今のところ発見されていません。音楽を薬に見立てて「この症状にはこの音楽」というふうに処方することは難しいということなのです。

音楽の力を得るには

 したがって「リラックスするためには何を聴いたらよいですか?」とか「眠れる曲って何ですか?」などは、実をいうと音楽療法士泣かせの質問なのです。この手の質問を受けた時には、「同質の原理」(Altshuler,1954) に基づいて音楽の選曲方法について説明することがあります。この原理によれば、音楽を選ぶ時にはその時の気分や状態にあう曲を選ぶことが推奨されます。例えば、落ち込んだ気分の時には気分を上げるための音楽ではなく、まずは落ち込んだ気分にあう曲からスタートして徐々に気分を上げるための曲に変えていくのです。ただし、そのようにして音楽を選んで聴いてみたとしてもねらい通りの効果が得られるとは限りません。繰り返しになりますが、それを聴く人のその時の状態や音楽を聴く文脈などによって音楽の効果は異なるからです。

たかが音楽、されど音楽

 音楽の人への効果という複雑な事象を解明するために多くの研究が行われていますが、まだ明らかにされていないことはたくさんあります。それでも多くの人が「音楽の力」を信じており、その力をポジティブなものとしてとらえているのは興味深い点です。「音楽の力」を信じるからこそ、自らのパフォーマンスを高めるためにアスリートが試合前に音楽を聴くのでしょうし、大きな災害の後には人々への慰めとして復興支援コンサートが開催されるのでしょう。

 また、「音楽の力」は時として個人レベルではなく社会にも広く影響をおよぼすことがあります。例えば、第二次世界大戦中に日本では国威発揚と国家統制を目的とした軍歌や歌謡曲が数多く作られました。海外ではナチスによるユダヤ人強制収容所で、親衛隊員の娯楽としてだけでなく収容者を管理統制することを目的とした音楽の演奏が頻繁に行われていました(ギルバート、二〇一二)。これらは国家的に「音楽の力」を戦争や民族弾圧に利用した例であり、歴史的に振り返ると「音楽の力」の負の活用方法でした。

 戦時中の音楽は、当時を生きた人の記憶と結びついていることがあります。例えば、軍歌は音楽療法では取り扱いを注意すべきジャンルです。軍歌や戦争の話に抵抗感を示す人がいるからです。一方で、軍歌を歌うことで当時を懐かしむ人もいます。したがって、一概に軍歌の使用を避けるべきだとはいえないのです。
 「音楽の力」は個別的であり万能薬とは言えません。しかし、音楽が個人の背景やニーズ、またその人が置かれた状況にぴたりとはまった時には、予想を超えたパワフルでユニークな影響力を発揮しうるということもまた、「音楽の力」の面白さであり奥深さであると思います。

●文献
Altshuler, I. M. (1954). The past, present and future of music therapy. In Podolsky, E. (ed.).
Music therapy. New York: Philosophical Library, pp.24-35. (Replinted by Kessinger Legacy Reprints)
Hargreaves, D.J. & North, A.C. (2010). Experimental aesthetics and liking for music. In P. N. Juslin &
J. A. Sloboda (eds.), The handbook of music and emotion. Oxford: Oxford University Press, pp.515-546.
シルリ・ギルバート(二〇一二)二階宗人(訳)『ホロコーストの音楽 ―ゲットーと収容所の生』みすず書房

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