はじめに

 私は、何日も他者と言葉を交わさなくても苦になりません。正直なところ、排他的になりがちな集団心理が煩わしく、子どもの頃から苦手です。しかし一方で私は、他者が存在する喜びも知っています。ひとりで体験できることには限りがあります。他者との間で動くこころを感じると、生きている実感が溢れます。 
 職場という集団の中にいると感じるのは、「連携」という言葉を超えていく、仲間とのつながりです。私はそのつながりを、愛おしく思っています。

苦い原体験

 大学院を修了してすぐに、今の職場に入職しました。直後に始まった研修期間で、ある病棟へ入った初日の夕方の出来事でした。それまで気さくに会話していた看護助手の方々(念の為に付け加えると、現在は退職されています)が、私の出身大学を知るやいなや「へえ、頭良いんだ。どうせ親の敷いたレールの上を歩いてきたんでしょう?」と言ったのです。 
 努力して主体的に選んできた進路だったので、「私のことを何も知らないのに、どうして急にそんなことを言われるのだろう?」と咄嗟に思ったものの、怒りや傷つきの感覚より先に疑問が湧きました。直感的に、ここには何かしら考察すべき事態が複数の次元にわたってあるぞと感じたのが、他職種との関係の原体験でした。

集団を理解する

 苦いスタートでしたが、社会人となり、専門家として働き始めているのですから、個人的な好悪の感情でなく、何が起きているのかを考えることが必要だと当時から私は思っていました。すべてを個人の資質に返すことは安直なので、まずは集団を理解することが重要だと感じました。
 マクロ的に職場の組織を知っていくことから始まり、医療現場という国家資格集団の各々の視点や役割の異同、集団力動、個々人のキャラクター、そしてなによりも治療環境に影響を及ぼす患者の病理への理解。それらのことを日頃から意識し、思考するようになっていきました。手がかりとなったのが、精神分析の学びでした。
 次第に担当患者が増えてくると、自ずと各職種のスタッフとのやりとりが増えるわけですが、駆け出しの私には、確信を持って伝えられることには限りがありました。失敗をして注意されることは山のようにありましたし、様々な投影を受けて理不尽さを覚えることもありました。チーム全体が患者の壮大な再演に飲み込まれ、治療者としての圧倒的な無力感に耐え難かった経験もたくさんあります。そうして、集団を知ることと同時に、自己理解もより重要になっていきました。
 数年経ったある日、ひとりの看護師が「初めて担当患者さんの心理検査の結果を説明してもらった時から感じていたのだけれど、松本さんは絶対に患者さんのことを悪く言わないから、信頼できると思っていたの」と伝えてくれました。その思わぬ言葉に、実は見守られていたのだということと、無自覚だった自分の姿を言語化してくださったことに、驚きと喜びを感じました。
 関わりの難しい患者の治療にチームで取り組んできた日々が、互いを理解することを推し進めてくれました。苦楽をともにすると、人と人は結びつきを深めることができます。治療場面での困難に苦しんでいる時こそ、私は周囲のスタッフに励まされてきました。

心がけていることと、その意味

 職場での人間関係で心がけていることは、年齢、職種、役職、経験といった違いにはとらわれずに、分け隔てなく一定の態度で接することです。わきまえることや礼節に配慮することは大前提ですし、関係性の深度や相性もあるので、誰に対してもオープンでいるということではありません。そして、「みんな仲良し」といった万能感や楽観は持ち合わせていません。肝心なのは、自他境界の持ち方と、情緒的な安定性、そして前向きさです。
 私は敬語と砕けた口調を織り交ぜることが多いのですが、率直に対話するというのは、馴れ合うこととは異なります。議論すべきと判断したことについては意見をしますし、説明責任を強く意識しています。親しいスタッフとの場合、個人的な友人関係を仕事上に極力持ち込まないように自戒的に注意を払っています。
 日常では、日々の各部署の忙しさや最近の動向に目を配り、集団と個の状況を観察して、さり気なく声をかけ、耳を傾け、労をねぎらうようにしています。出しゃばりすぎず、大げさでなく、言葉を選んで……と考えていくと、心理療法と共通した根幹があるように思います。語ろうとするほど押し付けがましくなりますし、わかって欲しいという前のめりの姿勢は独りよがりになりがちです。これらは、過去の自分に対する反省から生まれているものです。
 経験年数を重ね、管理職の立場でもあり、若手スタッフには緊張されてしまうことがよくあります。しかし他のスタッフ達が「松本先生は厳しく見えるかもしれないけれど、優しいから仕事のこと以外でも話した方が絶対に面白いよ」などと声をかけてくださっていて、私がいないところで随分とアシストしてくれているという事実を耳にすることが度々あります。もちろん批判があることも重々承知ですが、どちらか一方ではなく、どちらもあることが自然なことでしょう。
 なぜこのようなことを細かに考えているのかといえば、すべてが治療環境を整えることに繫がっており、患者に還元されると考えているからです。
 そしてもうひとつ大事なことは、私は仲間と楽しく真剣に働きたいのです。臨床現場では、困難が必ずやってきます。普段から交流できない相手に、緊急時や本当に助けが欲しい時に、どうして本音で話してくれるでしょうか。本気で助けてくれるでしょうか。
 少なくとも私は、職場の仲間と笑い、涙し、すれ違うこともありながら、現在の結びつきを得られたことで、専門家として働けているのだと思っています。

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