コロナ禍で向き合う「生と死」

 私たちは、この世に生を受けたその瞬間から、生の先にある死に向かって生きています。「すべての人間の死因は生まれたことである」と言った哲学者もいます(『幸福に死ぬための哲学―池田晶子の言葉』より)。生と死は、対極の意味を持ちつつ連続して在り、その境目は瞬く間です。だからこそ生を強く意識する時、生を深く考える時、死についての考えも湧き起こるのではないでしょうか。地球規模で直面している新型コロナウイルスの問題を通して、私たちは今、これまでになく生と死を意識していると言えるでしょう。そんな中で二〇二〇年、わが国では、さまざまな理由により自ら命を絶った方が、一一年ぶりに前年より増えました。"死にたい・消えたい"という思いで、この夏を過ごしている方もおられることでしょう。

気持ちはいつか変わります

 "死にたい・消えたい"と思う時……
 *今、まさに、この場、この時、この状況から、一瞬のうちにいなくなってしまいたいと思う時
 *追い詰められた時間の連続の中で、もうここにいることに耐えられない、と逃げ出したくなる時
 私たちは、その支配的で重々しく、それなのに衝動的で落ち着かない気持ちから容易に解放されることはないと思いがちです。
 しかし、"死にたい・消えたい"気持ちから離れることができないでいる人たちにお伝えしたいのは、北九州市精神保健福祉センターが、子どもたちに向けて発行しているリーフレットにある三つのメッセージです。
 "死にたい・消えたい"という気持ちも、他の気持ちと同じように、いつか必ず変わります。ずっと続くものではありません。実際、自分の気持ちが変わる経験をしたことのある方がほとんどでしょう。

気持ちが変わるまで、苦しい時が過ぎるのを待ちましょう

 *好きなことや好きだったことをする
 *何も楽しめないなら、ただ横になる
 *眠って時が過ぎるのを待つ
 *お気に入りの音楽を聴く
 *ゆっくり、あたたかく聴いてくれる方に"死にたい・消えたい"気持ちを話す
 *専門の病院にかかって、専門の先生方の力を借りる
 他にもいろいろな過ごし方があるでしょう。そうやって時間が経ち、"死にたい・消えたい"気持ちに少しでも変化が起きれば、今を、今日を生きていくことができると思います。そして、明日がやってきます。ゆっくりと、少しずつ、自分らしさを取り戻していけるといいですね。

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