はじめに

 私は心理臨床家となって二五年になりました。今回の原稿を書くにあたり、様々なことがあったことを思い出し振り返りの機会になっています。専門家としての訓練や、同僚の支えがあってこその今日の自分なのは間違いないですが、今回は「個人的な生活での支え」というお題が私に与えられました。
 当然のことながら、職業人としての私とプライベートな私は連動しているわけですが、あえてプライベートな部分を書くということは通常のモードではほとんどないことです。その不慣れさゆえに本稿を書くことに戸惑いを覚えるのは職業病でもあるかもしれません。五〇歳手前の男性が何を支えに心理臨床家という仕事を続けることができているのか、関心がない読者の方も多いかもしれませんが、思いつくままに書いてみようと思います。

友人

 学生時代のことです。私の恩師はよく「専門家との繫がりだけを大事にするのではなく、業界と関係のない友人を大事にしなさい」と言っていました。若い頃は「そんなこと当たり前じゃないか」と思っていましたが、それぞれが家庭を持ったり、仕事が忙しくなってきたりすると、友人と会うことは激減しました。友人との繫がりがいかに大事なのかは、仕事ばかりになって自分の考えのバランスが偏ってきているように感じたり、ライフサイクルに関連して生じる自分自身の問題を共有したいと思う時、とりわけ強く実感されます。
 パッと思いつくことは自身や家族に迫る老いです。これは同級生と会うとほぼ話題になることです。「体力が落ちたんだよなぁ」というボヤキは、「何だ、お前もか」という安心に変わり、「生命保険の見直しとかどうしてる?」などというシビアな話になったりもします。苦笑いしながら「老けたよな」と話していると、次には子育てや親の介護の話に広がっていくことも度々です。
 アラフィフにとっては健康問題や老後の心配がだんだん現実になってくるようで、あれこれ工夫している話を聴くのは良い刺激になります。どんな仕事をするにしても健康が第一ですから、「あ、それいいな」という健康維持の方法や食べ物の話になったりすると、早速自分も試してみたりします。同じような時代を同じように生きたつもりでも、自分の知らないことを友人たちはたくさん知っており、イマドキの何かを自分だけが知らないように感じて焦って調べてみたりもします。どうも、同じであるという安心感と、違うということから生じる刺激が友人との繫がりから得られるようです。これはどの世代でも同じだろうと思いますが、孤独を癒す最良の薬だと思います。
 心理臨床家の仕事は時に孤独なものです。自分の不安はある程度解決しておかないと面接室に影響が出てしまいます。専門家としての解決という部分と、プライベートな時間に自然に安心することから出てくる解決は両輪だろうと思います。一方で、「友達がいない」という切実な悩みに接する時、自分が友人たちから得ている安心感を実感できていると、それを手に入れられずに悩んでいる人たちの苦しさをいつも以上に感じ取ることができます。
 専門家として知っている理論以前の感じ取る力をリフレッシュさせるためにも、友人との触れ合いは大事だと思います。しかし、今はコロナ禍という未曽有の時代であり、こうした機会がかなり限られているのは、改めて困った事態だと考えさせられます。

家族

 私を支え、私に様々なことを体験させてくれるのは、もちろん家族です。家族は当たり前のことを教えてくれます。例えば、人間の欲は限りがない側面がありますが、休日に家族がそろってテレビの前でのんびりしている時間は、「こういうのが幸せなんだろうな」と思わせてくれます。まだ子どもたちは小学生なので、父親である私を自然に求めてくれることも多く、一緒に遊びに行くこともしょっちゅうですが、「そのうち 離れていくんだろうな」と考えると寂しくもなります。しかし、人間の発達を考えたら、それは望ましいことで、自分自身の頭の知識と感情の不一致に啞然とすることもしばしば です。多くの親がそういうプロセスを経て、子育てから様々なことを学び、そして年齢を重ね、やがて子どもたちが時代の中心になっていくのでしょう。
 また一方では、私たちの親世代がいてくれる時間のことも考えます。少しずつ私の小さい頃を知っている人たちがいなくなり始めました。親が徐々に弱っていく姿も見ていかねばなりません。そこには様々な感情が渦巻きます。同じ目線で見てくれているのは妻であり、「ちょっとしんどいね」と話すこともあります。時間は戻らないという少し残酷な現実の受け入れを家族はそっと促してくれるようです。私の家庭の話でしかなく、決してスタンダードな家族でもないですが、こうやって一緒に時間の流れを感じ取ってくれる存在は他にいません。
 愛猫も大事な家族の一員です。子猫だった彼も、人間に換算すると私の年齢をちょっと超えたおじさんになり、ジャンプ力がなくなってきました。「自分もやがて行く道だな」と思うのですが、そんな瞬間に子どもたちが自分に突進してきたりして一転、笑いに変わったりもします。日々の些細な場面に人生の様々なものが圧縮されて起きており、悩みを抱えている人たちに接する私たちは、いかに一人一人の細やかで繊細さを含んだ物語に寄り添えるのだろうかということも考えたりします。
 この原稿を書いている今日が私の誕生日という偶然もあって、少し時間の経過ということが強調されすぎており、暗い内容になってしまったかなと反省していますが、家族のためにもまだ元気でいないといけないなという思いは強く持っています。自分で望んで就いた職業とはいえ、気持ちが折れかかることもありますが、家族のために頑張ろうという思いは自分を動かしてくれる大きな力であることは間違いありません。

おわりに

 専門家もちっぽけな一人の人間でしかありません。友人であろうと家族であろうと、誰かと繫がっているという安全基地のような部分があることで、日々の仕事に向かえるのだと思います。時々私たちは悩みを自分で解決できるかのように誤解しますが、実際は悩みについて自覚的であるということが大事なのだろうと思います。自分の悩みや体験から得たことの多くを職業人として語ることはあまりないものの、酸いも甘いも自分の中にしっかりインプットして臨床実践にうまく活かしていけると、何かがうまく展開していくのだろうと考えています。

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