特集01: ジブリで学ぶ心理臨床学「超」入門 先の見えない世界に生きる ―『風の谷のナウシカ』に学ぶ不安の心理臨床学
著者 さちクリニック 重宗祥子
はじめに
劇場版の『風の谷のナウシカ』がひさしぶりにテレビ放映されました。冒頭、有毒の瘴気を発する菌類の森に覆われた腐海を飛行装置メーヴェで行く主人公のナウシカが、防毒マスクをつけているシーンがあります。今回は、COVID‐19の感染拡大に対して世界中の人がマスクをつけざるをえない今日の状況を重ねて観た人も多かったのではないでしょうか。かつてはアニメのワンシーンと見過ごしていた場面が、私たちの「今」を予言していたようにも思えます。
ナウシカの世界と私たち
ナウシカの世界は最終戦争によって巨大産業文明が滅んだあと、腐海が放つ猛毒とそこに棲む巨大な虫に怯える世界です。今の私たちは徐々に感染力を強めていく、目に見えない新しいウィルスに怯えています。これは、はっきりと恐れる相手のある「恐怖」を抱いている状態と言えるかもしれません。しかし実は、ナウシカの住む風の谷の人びとも今の時代の人びとも、この事態によって自分たちの世界が、そして命がどうなっていくのか、「先の見えないこと」に怯えているのではないでしょうか。COVID‐19の第三波の最中、年末年始の街頭インタビューでも、多くの人が「この状況がいったいどうなっていくのか、先が見えずに不安です」と語っていました。自分の親しんでいる生活や世界が変わってしまうこと、なくなってしまうこと、自分の愛する人たち、そして自分自身が病気に罹り、死んでゆくことを漠然と恐れている、これが「不安」と呼ばれるものです。このように、心理学では「恐怖」は明確な対象を持ち、「不安」は対象がない、あるいは明確でないものと考えられています。いつもは考えなくてもすんでいる心配や恐れ、つまり不安が世界の変化によって多くの人の中に湧き上がってきているのが今の状況だと言えるでしょう。
私たちはどうしているだろう?
こうした状況で、多くの場合に私たちはどのように行動するのでしょうか。映画の中で、大国トルメキアは人びとが恐れる腐海を、千年前に世界を焼き尽くした人型兵器の巨神兵を復活させて焼き滅ぼそうと企みます。私たちも不快なことが起きると、なんとかその否定的な感情を抑え込もうとするでしょう。あるいは、それをまったく無視してしまうこともあります。たいしたことはないと思おうとすることもありますし、誰かのせいにすることもあります。頭では考えていないのに、体がそれを感じてつらくなってしまう場合もあります。それさえ無くなれば心安らかな生活がもどってくると思いたい、というのが人情です。
しかし巨神兵を使った企てが、腐海に生息する王蟲によって阻止されたように、怯えや恐れはひとつ無くなっても、その背後にある不安が完全に消え去ることはありません。
否定的な感情は邪魔者?
ナウシカは人びとが恐れている虫たちと幼い頃から親しみ、虫が人を攻撃するのは、人が虫を傷つけたときであることを知っていました。宮崎駿監督は、日本の古典である堤中納言物語の「虫愛ずる姫君」からナウシカというキャラクターを思いついたそうです。人が生きてはいられない腐海に棲む、不快な虫、いわばそれに表される私たちのこころの否定的な感情を、ただそのマイナスの面だけではなく、それがあることの意味やプラスの面を知っているのがナウシカでした。また、ナウシカは自分の実験室で、腐海の植物を地下のきれいな水だけで育ててもいました。そうすると腐海の植物でも瘴気を出すことはないのです。この経験によって、ナウシカは不慮の事故で腐海の底に落ちたとき、防毒マスクをしなくても息ができることの意味を知ることができたのです。腐海は毒に冒された大地を浄化している、という真実です。
良いものと悪いもの、私たちは何でもどちらかに分けたがります。悪いものならば駆逐すればよいと思いがちです。しかし人びとが恐れていた腐海が、本当は人間を守るために存在していたように、私たちのこころの中の様々な否定的な感情も、その奥底にある、人がそれを締め出すことはできない不安の存在を知らせ、それと向き合うことを教えてくれます。
不安と向き合う
「杞憂」という言葉があります。紀元前の中国は周の時代、杞の国に住むある男は、天が落ちてくるのではないかと心配し続けて眠れなくなっていたと言います。しかし物知りな人からそれが無用の心配だと教わり、安心して眠れるようになったという由来があり、通常は無駄な心配という意味で使われます。私たちは病気になることがある、とか、いつかは死ぬ、とか、同じ生活がいつまでも続くわけではない、とわかっていても、日常では、それを心配し続けることはなく暮らしています。それは無駄な心配だからしない、ということなのでしょうか。そうではなく、これは私たちを包んでいる世界が私たちを守り、育み、抱えてくれていると感じられるからなのでしょう。そう考えると、私たち一人ひとりが、そうした世界を戧ることに力を尽くすことが大切なのだと思えます。こうした穏やかな心持ちでいられれば本当に幸せですが、残念ながら生きている間には必ず困難が訪れます。それも外側からだけではなく、私たち自身のこころの中や体の中からもこの平穏を脅かすできごとが起きてしまう、いえむしろ自分たちが引き起こしてしまうことも多いのです。
人が生み出した科学技術によって地球環境が損なわれる、という大きな規模のできごともありますが、毎日の生活の中でも、私の欲求が誰かの願望と異なることでそこに対立が生まれることや、ひとりの人に対して愛情と憎しみを向けてしまうような、私たちの複雑な心がややこしい事態を引き起こしてしまうこともあります。ですから、これを解決するのは簡単ではありませんし、残念ながらひとつの正解があるわけでもありません。ただこれまでの歴史の中で人が向き合ってきたように、私たちもこの難しい問題に向き合い続けねばならないでしょう。それは無駄だから考えない、ということとは違います。映画では、身を挺して王蟲の進撃を止めたナウシカの体が無数の虫の食指に支えられ、彼女が死から再生したと思える場面が最後に描かれています。それは自然と人の共生を描いているようで美しいものですが、実際の私たちの現在、そして未来はどうでしょうか。それは私たちが、自分自身、お互い同士、そして社会や世界とどのように関わっていくか、長い将来を見据えて取り組み続けるしかなく、その意味で、まだまだ結論は見えないとお伝えするしかないようです。