ながい人生の道行きで、つまずいたり、立ち止まったり、時に転んでしまうときもあります。そんなさまざまな場面で、わたしたち心理士はクライエントの身近な存在でありたいと願っています。困ったときに相談できる、手が届くカウンセラーであるために、現場の最前線で工夫を凝らしている方々に執筆を依頼しました。
 人の生病老死(生まれること、病むこと、老いること、死ぬこと)にはよろこびとその分だけくるしみが伴います。人生で、生まれることは死ぬことと対であり、病むことは健やかなことと対になっています。たとえば、あなたの口の中に大きな口内炎ができて、美味しい食事もその痛みで食べられなくなる辛さを知ると、それが治って普通にご飯が食べられる喜びを嚙みしめるでしょう。(不思議なことにいつのまにかその喜びをまた忘れてしまうのですが……)
 つまり、よりよく「生きる」には「死ぬ」ということを知らないといけないし、「健康」であるためには「病む」ことを知らなければならないのです。それは表裏であり、不可分なのです。生病老死のさまざまな局面で、その苦しみを共にし、共に考えることがわたしたちカウンセラーの仕事です。
 みなさんの身近な場所や、意外な場所にある心理臨床の現場についてお届けできればと思います。

 今号の「心理臨床なう」は、「なう」だけではなく、「未来(みらい)」の心理臨床を予見するものでもあります。場においては「放課後デイサービス」「居場所としてのカドベヤ」「フクシマという被災地」「高齢者施設」と、どこも重要な現場であり、生病老死と分かち難く展開されている、今後さらに注目される心理支援の場となるでしょう。
 また、その方法として「NPOによるこどもの支援事業」「里親家庭への支援」「司法裁判の専門家証人」と、本当に困っている人に手が届くよう、その対象や領域を拡大する試みや取り組みも進んでいます。
 バラエティーに富む現場について読み進めると、今後の心理臨床がダイバーシティの時代に対応し、マイノリティーをサポートしていくという欠くべからざる役割を担っていく未来がみえてくるように思うのです。

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