こころに出会うこと

 インターネットやSNSの普及によって、ネガティブな感情の一方的な吐き出しは増えているものの、自分の思いを互いにじっくりと伝えるといったコミュニケーションは減っているように思われます。その理由の一つは、私たちが人の「こころに出会う」ことに感じる怖さにあるのではないでしょうか。しかし、人のこころの健康には、自分のこころに出会うことと共に、自分を理解してくれる人、つまりもう一つのこころに出会うことが必要だと実感する今日この頃です。本書は松木邦裕先生が、私たちがこころに出会うために、精神分析やその学び方、その臨床実践についての講演や著述を編纂した学術書です。

〝生きづらさ〟には棘がある

 私たちが臨床で出会う人たちのこころは傷ついており”生きづらさ”を抱えています。本書のプロローグでは次のように書かれています。人は自分の”生きづらさ”を見ないようにしている、そして、そのこころに対して「傷つき過ぎて、見たくないのだから、そっとしてあげよう」とか、それが「守ってあげることだ」と考える人もいるが、それを漫然と続けるのは見過ごすことと同じだ、と。また、生きづらさには棘がある、その棘を手当てするには、他のこころに出会わなければならない、ただ、その棘は出会おうとして近づく者にも突き刺さる、しかしその痛みを通して、私たちは”生きづらさ”を抱えたこころの本性を知る、と。
 心理臨床に携わると、クライエントの傷ついたこころの棘がこちらに突き刺さるという体験は避けられません。それは共感によって相手の痛みを感じるといった生易しいものだけではありません。どんな慎重なアプローチを心掛けても相手のこころの棘に触れれば、怒りをぶつけられ、こちらにも痛みが走ることもあります。しかし、私たちがこころで痛みを感知することでしか、こころの援助はできないということを著者は伝えています。

生きづらい現実を生き抜くために

 著者によれば、心理臨床とは何らかの深刻な”生きづらさ”を抱えて生きている目の前のその人を理解し、その苦悩・苦難に圧倒されてしまわずに主体的に生きていくことを援助するために有用な、パーソナルな人間的関与の実践です。人生が思い通りに進むことは少なく、理不尽なことや様々な喪失による苦痛も避けられません。しかし、こうした現実を正確に認識し、それに基づいた適切な行動を検討するというこころの作業、つまり思考する(考える)ことで、こころは不安や苦痛に耐えられる強さを持てるようになります。面接で「話したって何も現実は変わらないのでは?」と聞かれることがありますが、自分のこころや人との関係の中で起きていることを正しく知り、考えることができれば、適切なこころの在り方や対応が見つかり、不安や苦痛は何とか生きられる程度には軽くなるのです。
 本書は、心理臨床に関心のある皆さんが自分のこころ、そしてもう一つの他者のこころに出会い、こころを健康に保つのに役立つでしょう。そして、既に心理臨床に携わっている皆さんにはこころに出会う痛みに持ちこたえ続ける勇気と希望を与えてくれると思います。

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