「なにが好きなのか、よくわからないのです」
心理療法では、このように語る方々と実に多くお会いします。︿趣味やお好きなことはありますか?﹀と私が尋ねても、自分はなにをすると楽しくて、嬉しくて、心地がよいのかわからないので、自発的にはなかなか思い浮かばないようです。
落ち込み、寂しさ、哀しみ、傷つき、虚しさといった辛い負の感覚、不快感には敏感で、こころの大部分が捕らわれているのでしょう。本来あるはずのよいものを見出すことができず、あっても楽しむ気力が失われているような状態です。
なにか困り事や生きにくさを抱えて心理療法を求めていらっしゃる人がほとんどなので、無理もないでしょう。そもそも「自分のことがわからない」とおっしゃる方のなんて多いことでしょうか。
好きなこと、嫌いなこと
そういう時には、食べ物や着るもの、もっと皮膚感覚的な感触についてなど、とにかくなにか手がかりになりそうな「快」を探すために話し
合います。なかには「こんなことが好きだと言うとおかしいと思われるかもしれませんが」と恥ずかしがる方もいらっしゃいますが、寝るのが好きだって構いませんし、猫の肉球の匂いを嗅ぐのが好きなら、それだってよいのです。
どうしても好きなことが思い浮かばない時は、嫌いなことや苦手なことを探します。ある方に嫌いな食べ物を伺うと「それもあまりわかりませんが、強いて言うならトマトは積極的に食べたいと思いませんね。だって、なんか青臭いですよね?」と苦笑いしました。︿青臭いのが苦手というあなたの感覚はおわかりになるのですね﹀とお伝えすると、「そういえばそうですね。改めて考えてみたことがなかったですけど、わたしはどうして自分の好きなこともわからないのでしょう」と言い、自己探索の回路が開かれていきました。
【わたし】を知る
これらの作業がなぜ大切なのかというと、どのような感覚や感情も【わたし】のものだからです。わたしがなにを求めていて、どう感じるのか、どうこころが動いているのかを理解していくことは、わたし、つまりは主体の感覚を伸ばすこと、わたしという存在に形のようなものを与えることに繫がります。理屈ではない実感を得ていくことに意味があるのです。
徐々に趣味や好きなことを発見できると、セルフケアの方法が見えてきます。苦しくなった時にはどうすれば落ち着くことができるのか、どうしようもないと感じる時でもやり過ごす方法はなにかといった思考ができるようになっていきます。辛さを感じつつもそれだけに支配されずに、客観的に自分について考えて、対処できるようになります。自己治癒力を高めることは、生きていく上ではとても重要なことです。
なにより、趣味があると楽しいものです。人生は、苦しいことや喪失の連続です。だからこそ、こころが高鳴ること、じんわりと奥底から和らぐこと、安らぎを覚えることなどはいくらあってもいいですよね。趣味がないと感じるのなら、趣味を探すことを趣味にしてみてはいかがでしょうか。探していれば、そのうちなにかは見つかるものですよ。