はじめに
私は、丁度コロナが蔓延し始めた三年前に、大学を定年し、心理の相談施設を開業しました。同時に、心にゆとりを持って心理臨床に携わっていくためには、息抜きが必要と考え、趣味として俳句も始めました。それというのも、私には、一〇四歳になる母がいます。母は一〇〇歳までは一人で自活し、さすがに今は介護施設でケアを受けていますが、ぼけてはいません。その母の一番夢中になった趣味が俳句でした。五〇代から始めて、九六歳の時に、お葬式で配ってほしいと句集をまとめて自ら辞めるまで四〇年以上は続けていたように思います。そんな母に倣い、俳句を趣味にすれば、母のように、ぼけることなく長生きできるのではないかと考えたからです。
ところが、俳句を始めたものの俳句の奥深さと難しさに圧倒され、上達の方法が、今のところ摑めずにいます。丁度心理臨床家を目指して学び始めた頃、心理臨床の世界で生きていけるのかと不安に思っていた頃と似ている感じです。ただ、心理臨床家を目指して人生をかけていた真剣さとは違い、あくまでも老後の趣味の範囲内で楽しめればいいと基本的には鷹揚に考えています。それでも何とか良い俳句を作りたいと願って、私が実践している工夫を紹介したいと思います。
私なりの俳句の学び方
①レベルの違う句会で同時に学ぶ
まず私は、俳句上達のためには同時に複数の句会に入会して多角的、多層的に学ぶことが近道と考え、句会を選ぶことにしました。その結果、現在私が所属している句会は、全国レベルで所属人数も多く評価の高い句会、私の住む地域の句会、ネット句会の三つです。全国レベルの句会は、それぞれの地域にある小さな句会を集約する形で成り立っています。私もその小さな句会に入っていますが、参加者の能力も高く指導者も著名人ですので、私はいつも小さくなって参加しています。そこでは俳句の型を身につけることから始まります。俳句は一種の詩ですので、説明や、感情表現ではなく、写真を撮るように場面を詠むことが求められます。いわゆる報告や論文の文章とは全く違い、私には戸惑うことばかりです。そこで私は、全国句会の参加者で作っているネット句会に入会し、色々と選評してもらってから投句するようにしています。ネット句会は、顔が見えないので年下で優秀な俳人の卵のような方に、遠慮なく意見や質問ができ、良い勉強になっています。
一方、地域の句会は、指導者の方が優しく親切で、私の俳句の添削もして下さいますし、句会後のお茶会を通して、同じ趣味を持つ方々と交流でき、私にとっては癒しの時間になっています。
②俳句のタネ探し
作句するには、心に響く場面や風景などが必要になります。三つの句会に入会していると、月に三〇句以上作る必要があり、作句のための材料探しも大変です。私は、俳句を始めたと同時に、健康維持のために近所の公園で行われているラジオ体操にも参加しています。三六五日、毎日六時半から行われる体操会で、出欠を問わず参加費も無料という自由で気軽な会です。体操終了後、森林インストラクターの資格を持つ方が、ボランティアで近くの遊歩道や寺院などでお花や木について教えて下さる「お花の会」に、俳句に繫がるとは思わず入会しました。参加してみると、如何に私が、季節の移り変わりの中で様々な植物の営みに無頓着で生きてきたかを実感し、同時にその営みに気づくことが作句に繫がることに気づきました。例えば、春と言えば桜です。お花の会では、桜について学びつつ実際に観察します。そこで私は、ヒヨドリが桜の花の蜜を吸った後、花ごと落とすことを知りました。落ちた花は、花弁ではなく花そのものですから、落ちたところは花が咲いたように綺麗です。
それで一句:
川べりに蜜吸う鳥の落とす花
つぎにミツマタ(三椏)の花をご存じですか? 和紙の原料ですが、冬の間は葉を落として、まるで枯れ木のようです。その枝が三又に分かれているのが名前の由来で、春になると黄色いボールのような花を咲かせるのです。
そこでまた一句:
三椏やぼんぼり灯る商店街
さらに、鬼ゆずというのを見たことがありますか? ゆずと言ってもゆずではなく、文旦の仲間だそうですが、小玉のスイカ位の大きさでその存在感は大変なものです。私もこの年になって初めて知り、探せば近所の庭になっているのを発見して心底驚きました。
さらに一句:
鬼ゆずや笑い皺ある父の顔
その他、私がお花の会で学んで俳句に繫がった植物には、月下美人、クジャクサボテン、ジャカランダ、ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃの木)、一日の間に花が白からピンクを経て赤になる酔芙蓉、皇帝ダリアなどがあります。お花の会には、先生の講義をまとめて、さらに詳しく調べて配信して下さる人もいて、本当に楽しみながら日々学び合っています。このように定年後、俳句とお花の会に参加したことで、新しい世界に触れることで癒され、なおかつ俳句のタネも見つけられるという一石二鳥の生活を楽しんでいます。
おわりに
長生きの母のおかげで、私は、これから三〇年以上生きる時間が与えられていると思っています。先日、母に「どう死にそう?」と聞いてみたところ、「いやまだだね」という答えが返ってきました。このような遠慮のない親子関係を与えられたことを心から感謝しています。
最後に、俳句を趣味にしたことで、私の臨床におけるクライエントの言葉により敏感になった気がしています。かつてスーパーバイザーから「よい臨床家になれ」と言われたことを忘れず、心理臨床と俳句の道をこれからも励んでいきたいと思います。