幸せな社会の創生

 イギリスでは2008年から「IAPT: 心理療法アクセス改善政策」が施行され、世界的な注目を集めています。著者らは「社会は心の健康にどう取り組むべきか?」と真っ向から問いかけ、章ごとに答を出していきます。
 本書は、オックスフォード大学の臨床心理学者、デイヴィッド・クラークと著名な労働経済学者、リチャード・レイヤードが2014年に出版した『Thrive: The power of psychological therapy 』の全訳です。幸せな社会を戧生するためのIAPTの壮大な仕組みとデータの裏づけに驚きを覚えます。イギリス政府は、クラークとレイヤードが10年を費やして綿密に検討した構想を受け入れ、国の予算を投下し。2008年からIAPT政策を実行しました。
 本書はその2008年から2013年までの5年間のIAPTの活動をわかりやすく解説しています。国がメンタルヘルス政策に心理療法を取り込み、最初の5年間で5000人のセラピストを養成し、精神疾患に苦しむ人々に無料で有効な心理支援を提供するという健康政策は前代未聞でしょう。

心の健康と身体の健康を対等に考える

 IAPTは、不安と抑うつの問題などで生活の質が低下しているすべての人に対して、治療効果の高い心理療法を無料で提供するという大規模な国家計画です。個人の福祉が国の健康のバロメータになることを説き、心の健康と身体の健康を対等に考えることを健康政策の土台とします。貧困や民族的マイノリティ、あるいは社会的偏見により心理療法を受ける機会に恵まれなかった人々が、平等に直接相談できるようになったのです。

 エビデンスのある心理療法として認知行動療法や対人療法などが提供されますが︑問題の重症度に合わせて適切な対応があります。不安障害とうつ病に対する心理療法の効果がすでに実証済みであることもIAPTの推進を助けています。

IAPTの実績はデータが語っている

 IAPTプロジェクトは個々の相談者からアセスメントと治療経過および結果のデータを集め、分析評価の対象としています。2019年時点で、イギリスでは年間95万人が地域のIAPTプロジェクトに支援を求め、養成されたセラピストも1万人を数え、セラピストのスーパーヴィジョンも必須です。心理療法を受けた人の回復率が2017年に目標の50%に達したことが公表されました。
 原書について、認知療法を開発した精神医学者のアーロン・ベックは「問題の本質を誰にとっても分かりやすく解説している」と述べ、ノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンは「社会にアクションを促すサクセス・ストーリーだ」と共に原著の表紙裏に賛辞を呈しています。
 監訳者の丹野義彦氏によるあとがきもタイムリーで、日本の心理職の動向を踏まえ、未来に向けた貴重な観測が含まれています。イギリスのIAPTを知ることで、エビデンスに基づく健康政策を考え、「心理療法がひらく未来」への確かな手がかりを探ってみてはいかがでしょう。

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