ここは都内某所の院生室。
院生室というのは、将来、心理職になることを目指す大学院生たちがカウンセリングの記録や論文を書いたり、「鬼の居ぬ間に洗濯」をしたりするスペースです。つまり、誤解を恐れず言えば、指導教授がいない時にホッと一息ついて、仲間と日頃のモヤモヤを吐き出せる数少ない居場所とでもいいましょうか。
その院生室の一角で、心理職の「卵」たちが何やら騒々しい。はて、どうしたものかと筆者が声のするほうを振り向くと、ある卵はスポーツ新聞を見て顔をしかめています。その隣の卵は、携帯を眺めて首をうなだれている。はて、どうしたものか。不思議に思って理由を尋ねたところ、「ぐぐぅ・・・。『オシヘン』するかな~」、「今日はもう、修論、やる気ない。帰ろっかな・・・」なる悲痛なセリフがちらほら。どうやら、推しの熱愛のニュースを目撃したようです。
うら若き乙女たちの柔らかなこころを揺さぶる「オシヘン」の正体とはいかに。中年筆者の頭上には、たくさんの疑問符が浮かび、そうして束の間、「オシヘン」への徒然なる連想が始まりました。
「オシヘン」あらため「推し変」とは、好意を抱いて「推して」いた対象が他の対象に移り変わることで、「推していたメンバーが変わる」を省略した若者言葉のようです。この冊子を読んで下さっているあなたも、ひょっとしたら学校や職場で耳にされたことがあるかもしれませんね。「推し変」の対象は、ジャニーズやKポップなどのアイドルに留まらず、アニメのキャラクターや声優など幅広い層に及ぶといいます。また、そのきっかけも、推しの熱愛報道から不祥事、グループの脱退、はたまた、アニメの世界に至っては作画が変わることも影響するなど千差万別とのこと。さらに、デビュー間もない推しに人気が出ることで、「卒業」を決める人もいるとか。「卒業生」の心境としては、推しの誕生から巣立ちまで、一連の成長プロセスを見届けた達成感などもあるのでしょうか。なんと奥深く多彩な「推し変」ワールド!

さて、ちょっとここらで、一緒に心の森とやらを探ってみませんか?え、怖い? やめておく? そう言いなさらずに。大丈夫です。森を探索するのはあなた一人ではありません。頼りないながら、筆者もここに居ます。そして、たくさんの読者もそばに居ます。安全な森なので、どうぞご安心ください。さぁ、準備はよろしいでしょうか?
では、まず、冒頭の「卵」たちの嘆きには、どのような心の動きがあったと思われますか。はい、ではそこの方。〈推し活を通して満たされていた繫がりが、突然途絶えたようなポッカリした空虚感?〉なるほど、繫がりですか。推しとの繫がりは、あなたの中の心の痛みやネガティブな感情をそっとケアしてくれる存在でもあったのかもしれませんね。
 では、その隣の方。〈自分がエネルギーや愛情を注いでいた対象が遠いところに行ったような淋しさ?〉ふむふむ。いわば、「推しロス」とでもいうような失恋にも似た感情でしょうか。それは切ない・・・。
多くの方が挙手してくれていますが、時間の関係で残念ながら、あとお一人。では、そこのメガネの方。〈「こうであってほしい」という推しのイメージが崩れたガッカリ感?〉ほぉ。例えば、アニメのキャラクターデザインが変わった場合などでしょうか。あなたが思い描いていた「理想やファンタジーとしての推し」と、「現実の推し」とにギャップが生まれたのかもしれませんね。

「推し変」がもたらす豊かな心の動き

ではここで、「推し変」を巡る心の動きに話を戻しましょう。
確かに、「推し変」は、ある意味で、大事にしていた何かを失うという「喪失体験」の一つとも言えます。ですから、今まで感じていた推しとの繫がりや連続性が突然途切れたように思われ、戸惑いや痛み、また、怒りや後悔のような感情も湧いてくるかもしれません。場合によっては、一時的に無気力で不安な気持ちに襲われたり、推したい気持ちと推せない気持ちが複雑に混ざり合って、葛藤が生まれることもあるでしょう。でも、心配には及びません。そうした心の動きは、人が衝撃を受けたときに生じる、とても自然で正常な心の在りようだからです。
このことを考えるうえで、フロイトという精神分析家の考えが何かヒントになるかもしれません。彼によれば、人間は「対象喪失」、つまり、自分にとって強い情緒的な結びつきや「愛着」を感じる存在を失うと、強い悲しみの感情を経験したのち、やがて、失った現実を受け入れていくとされます。そして、彼は、そうした悲嘆の世界を消化していく心のプロセスを「喪の仕事」(モーニングワーク)と名づけました。ですから、もし、あなたが、「推し変」によって悲しみを抱えているならば、まずはその感情を少しずつ味わってみることをおススメします。
ですが、ここで要注意。そうしたタフな時には、一人で悲しみを抱えない。身の周りの安心できる他者に話をただ聴いてもらう。ともに心を眺めてもらう。自分の心と向き合うためには、そうした他者の存在が必要になります。そして、なんということはない、日常のルーティンをとりあえずやってみる。そうして日常の海を泳いでいるうちに、傷ついていたはずの心はやがてゆっくりと回復のプロセスを辿っていくことでしょう。

「もう一人の自分」に気づき手を繋ぐための営み

ではここで、少し離れたところから心の内側にアクセスしてみましょう。
「推し変」は、あなたの心をどのようにアップデートしてくれたでしょうか。数多くの対象のなかで、なぜあなたはその推しに惹かれたのでしょうか。新しく「推し変」した対象は、今までと同じようなタイプ?はたまた、以前の推しとは真逆なキャラでしょうか。また、推しとの関係性を通して、あなたの心はどのように揺れ動き、豊かさをもたらしてくれたのでしょうか。
こうして、いろいろな角度から心の動きを眺めてみると、向こうから意外な人の姿が現れてきます。それは無意識に潜む、あなたも出逢ったことのない他者のようなもの。
そう、「もう一人の自分」です。そして、その「もう一人の自分」は、普段は自分でも意識しないような、思いがけない心のありようを映し出す役割を担っているのかもしれません。
こう考えてみると、「推し変」は、あなたが「もう一人の自分」の存在に気づき、そちらと手を繫ぐためのプロセスでもあるのではないでしょうか。そして、こうした心の変化を経験し味わうことは、あなた固有の物語を成熟させるうえでの大切な営みにもなり得ると思うのです。
かく言う筆者の推しは大相撲です。あの緊迫した立ち合いの瞬間に垣間見られるオーラと勝負魂といったら・・・。いずれにせよ、場所中は相撲愛が止まりません。
今のところ、推し変は経験していませんが、推しメン力士が引退した時には、そっと喪失の涙をぬぐうのでしょうか。とはいえ、これから、ひょっとしたら、「もう一人の自分」と手を繫げる日が訪れるかも・・・と密かに楽しみでもあるのです。

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