夜の通勤電車に、小さな赤ちゃんを抱っこバンドで胸に抱き、ベビーカーと大きな荷物を持った若い男性が乗って来た。それに気づいた若い男性が声をかけて、ごく自然に席を譲っているのを見て、何とも微笑ましく思った。私が子育てしていた30年以上前には、駅で夫と待ち合わせ、生後3カ月の子どもを受け渡し、それぞれ別方向に歩き始めると、行きかう人々は乳児を抱く夫の姿を怪訝そうに見たものだった。時代は変わった。子育てにおいて、「男の子だから」「女の子だから」と言わないように心がけているという親は明らかに増えているし、ランドセルの色もたくさんの中から選べるようになった。
 とは言え、男女共同参画白書(令和2年度版)を見ると、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考え方に賛成する者の割合は4割程度であるにも関わらず、6歳未満の子どものいる共働き家庭において、「家事・育児・介護時間」は、女性の方が男性の4・5倍多く費やしており、経年変化はほとんど見られない。性別役割に対する人々の意識はずいぶん変化したのに、現実の行動選択においては変化が見られないのである。最近よく話題に上るジェンダーギャップ指数の詳細を見てみると(2022年)、「教育」は世界で1位、「健康」も平均より上回っているのに、「経済」「政治」が大きく足を引っ張っているために、146カ国中116位と後から数えた方が早い結果となっている。問題は社会構造上のものなのだ。意識と行動に大きなギャップがあるということは、非常にストレスフルな状況であり、メンタルヘルスが悪いことを示唆する。これが今の日本の現状だ。
 子どもたちがこのような構造から抜け出し、のびのびとそれぞれの力を発揮し、人生の喜びを享受できるように育つには、意識に合わせた行動が取れるようになる必要がある。スクールカウンセラーをしていても、子どもたちが環境に対してますます無力化され、自分を受動的存在だと思い込まされていることに驚く。自分は環境を支える一部であり、環境を変えるために能動的に動くことができるのだということを学ぶ必要がある。ジェンダー問題を考える時、今、一番求められているのは、それぞれが、環境のなかで主体的存在として行動選択ができるようになることではないか。そのためには、子どものノーをまずは認める。子どもがフラストレーションを抱えた時、それを抑え込むのではなく、子どもの言い分によく耳を傾けて、周囲と交渉したり、調整したり、知恵を使って工夫して状況を切り拓くことができることを教えたい。外から与えられる規範ではなく、自分が他者とともに心地よく自由にいることのできる生活をつくるのである。
 もちろん、そのためには、私たち大人こそがそんなふうに生きる努力をしなければならない。子育てで大切なことは、子どもに何を言ったか以上に、子どもの眼に親がどのように生きていると映るかである。何かで読んだエピソードであるが、夫を変えることをあきらめて、息子には自分のことは何でも自分でするように育てたはずなのに、結婚した途端、息子は何もやらなくなり、妻が苦情を言った。母が息子に問うと、「大人になって結婚したら、何でもやってもらえるんじゃないの」と言ったという。この女性は、その後、腹を括って、夫に変わらなければ離婚すると突きつけ、夫も息子も大きく変わったそうだ。
 性別役割について、人々の意識は変わった。今度は、それを行動に結びつける時だ。社会は独立した心の集まりではなく、力動的な総体である。他者とともに新たな環境を戧造していこうとする努力の延長線上に、「経済」「社会」に切り込む力が生まれることを願う。

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