筆者は、所属大学の中では学生相談機関の長を拝命しており、予算の獲得のため奔走する日々を(?)過ごしています。限られた予算の奪い合いは日本中どこでも生じている現象だと思いますが、子どもの数が減っているので当然といえば当然です。文句を言っていても人口が増えることはないので、心理臨床サービスがいかに役立っているのかを大学の管理者に説明する必要があり、「心理臨床のコスパ」に関する研究に手を出しています。
費用便益分析
財源の効率的利用という目的のため、これまで保健医療サービスに代表される公的サービスの経済評価の領域では、投入される費用と産出される成果の双方を貨幣価値に置き換えて比較を行う費用便益分析が行われてきました。心理臨床サービスに対しても費用便益分析は実施されてきている部分もありますが、実施されているのは非常に限られた領域です。心理臨床のコストは計算がたやすいものですので、ポイントは心理臨床の便益が明確化しやすいかどうか、ということになります。例えば、産業領域における心理臨床サービスの便益は金銭に置き換えやすいものですが(例:〇〇という心理療法が休職期間を平均××か月短くしたという結果が得られれば、施行人数×平均月給で便益を算出できます)、
一方で、教育や福祉の領域などは難しいかもしれません。そもそも、教育や福祉の便益とは何かが定まりづらいわけですが、それをさらに貨幣価値に置き換えるとなればなおさら難しいことになるからです。
仮想評価法
この問題を解決する方法の一つに、「仮想評価法」という研究手法があります。これは、自由市場で取引されないサービスの金銭的価値を明らかにするための研究手法の一つで、仮想的な市場を描いたシナリオの元で当該サービスに対する調査協力者の支払意思額を直接質問する方法です(図参照)。筆者がこれまでに行った研究では、大学生一人あたりの学生相談に対する年間の支払意思額は2796円でした。学生数が3000人規模の大学における学生相談機関の年間予算は約840万程度(2796円×3000人)が妥当だと学生が判断していると解釈することができるかもしれません。
データか物語か?
個人的な経験ではありますが、予算の分配の変化は上記のような厳密な研究やデータに基づいて実施されるというよりは、「物語」によって気まぐれに決定されることも多いような気もします(例:学生の自殺を受けて、対策をしているという姿勢を見せるために予算が増額された)。データと物語、研究と臨床、科学とアート。心理臨床の意義やパフォーマンスを説明するために、我々はどちらに力を入れていくべきなのでしょうか。