性犯罪者治療の必要性

 性犯罪の印象とはどういうものでしょうか。主に女性や子どもが被害者であることから「卑劣だ」、再犯の多さから「なぜ止められないのか」と理解に苦しむ印象があるかもしれません。昨今は性犯罪の厳罰化が進んでおり、より重い刑罰を科す方向に進んでいます。もちろん、性犯罪はあってはならないことで、性犯罪者は二度と同じ事をしないよう努める必要があります。では、性犯罪者は単に罰を課されることで更生し二度と性犯罪をしなくなるのでしょうか。彼らの多くは罪が明るみに出て、罰を課された直後は本当に反省していると思います。しかし反省は長続きせず、時がたつと繰り返してしまうことが多くあるのです。

罰と報酬

 そこで「意思が弱い」「本当に反省していない」という声が上がります。確かにそうとしか見えないかもしれません。しかし、これは心理学的にも立証されている現象で「罰の効果」と言います。罰の効果は一時的で、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といったことわざにも表れているように、痛みを忘れてしまうのです。

 それではどうしたらよいのでしょうか。それには「報酬」で自分の行動をコントロールすることが必要となります。つまり、性犯罪で得ていたものを自身で理解し、それを性犯罪以外の手段で得ていくのです。性犯罪の報酬は性欲の解消と見られがちですが、多くの場合はそうではありません。それでは彼らは一体何を求めて性犯罪を行っているのでしょうか。

加害者治療の実践から ―性犯罪で得られているもの

 私はこれまで多くの性犯罪者と出会い臨床実践を行ってきました。そこで私が感じてきたことは、彼らは総じて人付き合いが苦手で、人と関わりたくともうまく関わることができず、大きなストレスや欲求不満を感じているということです。たとえストレスの捌け口として犯罪をしたとしても、窃盗でもなく器物破損でもなく性犯罪を選んだのは、そこにはやはり「人との関わり」の中で得たい感情や感覚があったからではないかと考えられます。

治療の本質 ―他者との関わりの中でしか得られないもの

 治療では、彼らが他者との関わりの中で満足感や充実感を得られるように成長することが主眼となります。グループで行う治療の場では彼らの病理が現れます。例えば、グループの他のメンバーとの関わりを避け、関わり始めたとしても表面的に合わせるような関係や、更にはグループのだれか一人を〝変な人〞に仕立て上げ、排除する、見下すことで心の安定を図ろうとすることもあります。皆自分が馬鹿にされ排除される不安を抱えているのです。

 グループが成熟すると、グループ内で率直な意見交換ができ、自分と違う、異質なものを受け入れる耐性がつきます。それは実は彼らの中にある〝受け入れがたい自分〞を受け入れていくことなのです。すると他者を敵対視する必要は減じ、社会の中で不安になりすぎることなく過ごすことに繫がります。そこが治療の終了地点です。社会の中で彼らが他者とのつながりを感じながら生活できること、それが性犯罪治療の本質であると考えています。

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