ドンドンドン! 家中に響き渡る強さで扉を叩き、部屋にひきもっている人へ向かって支援者が怒鳴りつける。観念したように出てきた人に、今度は説教と説得を繰り広げ、最終的に施設へ連れていく……こうしたシーンをテレビなどで見たことがあるかもしれません。

 当然、専門家によるひきこもり支援ではこのようなアプローチはしません。では、自宅や自室の中で苦しんでいる人達に、専門家ができることは何でしょうか。「甘えるな!」と叱咤激励することでしょうか。「働かざる者、食うべからず」の精神で親に兵糧攻めを提案することでしょうか。それとも自立を信じて見守るべきでしょうか。

近年の動向

 2019年3月、内閣府は中高年ひきこもり実態調査の結果を発表しました。数年前の調査結果と合算す
ると、ひきこもり当事者は100万人いる、という推定値が算出され、ニュースを賑わせました。この数値の妥当性には議論の余地がありますが、ひきこもりが社会問題として改めてクローズアップされ始めた、ということは間違いないと思います。

ひきこもり支援の実際

 さて、実際の支援では、当事者が自ら相談機関に来所することは稀です。そのため、①最初に家族が相談に来て、②次に当事者が来所し個人支援が始まり、③徐々に集団場面を経験しながら、④所属先を見つけていく、という流れが支援の基本路線となります(図)。

 ただし、各段階を順調にステップアップしていく当事者はほとんどいません。親と協力して当事者に働きかけ、やっとの思いで本人が登場しても、当事者にとって支援は数年〜数十年ぶりに他者と接する機会になるので、どこかで躓くのは当然です。ここで大切なことは、「いかに次のステップへ行くか?」ではなく、「当事者が今苦しんでいることは何か?」という視点を持つことです。これは心理臨床では当たり前ですが、実践することは大変難しいです。対人緊張によってほとんど話ができず、主体的に動こうとしない当事者に対し、支援者側はついつい強引に話を進めたくなるからです。しかし、そうした先走りの感情が支援者側の心にあることを自覚しつつも、粘り強く対話を続けることが必要です。そうしていると、あるとき当事者の話の内容や仕草、口調などに微かな変化が起きることがあります。その変化を足掛かりに再び対話していくと、また少しだけ変化が起きて、さらに対話を続けると……ということを繰り返していくうちに、私たちは少しだけ当事者の苦しみを理解できるようになり、当事者も少しだけ主体的に話せるようになっていきます。


 これらの支援は、強引に部屋へ押し入ったり、熱血的な言葉で情緒に訴えたりするといった、ドラマティックなものではありません。もっと地味で地道な営みです。でも、人から強制されるのではなく、自分の足で外へ出ていく心を育むためには、不可欠な関わりだと私は思います。そして、臨床心理学(私にとっては主に精神分析)の知見が、粘り強い支援をするのには必要だと、日々の支援の中で実感しています。

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