非単性愛というマイノリティ

 LGBTという言葉は広く知られるようになったが、「B」であるバイセクシュアル(両性愛)が中心的な話題になることは少ないかもしれない。そんなバイセクシュアルは100人に2〜3人程度存在すると言われている。
 性的指向におけるマイノリティはゲイ・レズビアンがよく知られている。それらの人たちはホモセクシュアル(同性愛)であると同時に、単一の性別にのみ指向性が向くという意味で単性愛と特徴づけられる。バイセクシュアルは男女の両方に性的な関心や欲求を抱く指向性である。男女だけでない性別を含めて性的関心を向ける指向性であるパンセクシュアル(全性愛)と同様に非単性愛者としての世界を生きている。
 単性愛という点で、ホモセクシュアルはヘテロセクシュアル(異性愛)と同じくマジョリティであり、バイ/パンセクシュアルは、同性愛的指向と同時に非単性愛という二重にマイノリティ性を抱える存在といえよう。

非単性愛の生きる世界とは?

 バイセクシュアルといえども同性/異性のどちらを強く指向性として持つのかはかなり個人差があり、必ずしもそれは五:五ではない。同性/異性に向く指向性の強さは流動的な場合もあれば、固定的な場合もある。さらに、バイセクシュアルの人々の望む関係性の指向性もさまざまであり、同性/異性と同時に親密な関係を持つポリアモラス(複数愛)な当事者もいれば、そうでない当事者も多い。 一貫として両性への関心を抱いている人もいれば、ホモセクシュアルやヘテロセクシュアルとしての自己を結果的に確立する人も、自身の模索の過程の中でバイセクシュアルの状態を一時的・間断的に経験する人もいるのである。
 バイセクシュアルの人たちや状態や体験は、橋のようにホモセクシュアルとヘテロセクシュアルの間に横たわりグラデーションを紡いでいるといえよう。バイセクシュアルの人々の生きる世界は実に多様である。

単性愛に分断されるグラデーション

 しかし、世界は断絶を抱えている。日本では、パートナーの性別により社会的な自由や権利・法的保障の範囲がかなり異なる。バイセクシュアルは分断されたヘテロ/ホモの世界の間を自分自身の実存や居場所を求め、あるいは、パートナーの性別に応じて行き来することになる。パートナーが同性であればホモセクシュアルへの偏見に晒され、パートナーが異性であればヘテロセクシュアルとして扱われ、バイセクシュアルとしての個人や体験としての連続性は容易に不可視化されてしまう。
 また、ホモセクセシュアルの生きにくさゆえに、多様なバイセクシュアルのあり方が「ホモ/ヘテロどっちつかずの都合の良い存在」「ヘテロの一時的な気の迷い」「同性愛を受け入れる覚悟がない」などととLGBTのコミュニティの中でも揶揄されることもある。 マイノリティながらマジョリティとしてのポジションを選べてしまうことの罪悪感や、「ホモ/ヘテロどちらのコミュニティにいても"居場所がない"」という孤立感はバイセクシュアル当事者からよく語られることである。臨床場面ではそのような「彷徨うバイ/パンセクシュアル」とよく出会う。マイノリティの中でさらに孤立する、そのような体験がメンタルにプラスに働くことはまずない。
 バイ/パンセクシュアルの人々がホモ/ヘテロのコミュニティの間で二者択一を迫られ、彷徨うことなく、辿り着いた場所や選んだパートナーとのびのびとその人らしいあり方で暮らせるとしたらそれは、ホモ/ヘテロの分断のない世界であろう。

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