「トランスジェンダー」とは何でしょうか。実は多義的で、話者や文脈によって指す内容が変わることがあります。なぜそうしたことが生じているのか、この言葉の持つ歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。
 「トランスジェンダー」という言葉は、「トランスセクシュアル」という外性器の手術を伴う・・性別越境を意味する言葉と区別するために、外性器の手術を性別越境を示す形容詞として当事者が使用し始めた言葉でした。一方、「トランスセクシュアル」は、WHOの国際疾病分類に2021年まで組み込まれていた精神疾患概念で、和訳は「性転換症」です。「トランスジェンダー」は、トランスセクシャルが内包する医療概念とは全く文脈の異なる用語として、他者既定ではなく自己規定概念として、さらにはプライドを込めて自分たちを呼びならわす言葉として使用されていました。
 しかし、この言葉は徐々に外性器の手術を伴わない性別越境から、性別越境に関わる包括的な概念へと変容していきました。2022年に公表された世界トランスジェンダー健康学会 (World Professional Association for Transgender Health, WPATH)の作成するケアのガイドラインでは、トランスジェンダーを「出生時に割り当てられた性別から典型的に期待されるジェンダー・アイデンティティやジェンダー表現ではない人々を描写するときに使用される総称」と用語解説しています。 トランスジェンダーには、トランスセクシュアルもクロスドレッサー(異性装)もノンバイナリーもXジェンダーも、あらゆる非典型的なジェンダーがすべて含まれることが想定されることになりました。これにはおそらく政治的・社会的連帯を示すためのLGBTという用語がよく使用されるようになったことも関係しているのでしょう。LGBTのTは、トランスセクシュアルではなくトランスジェンダーだとよく紹介されます。
 こうした"総称としての"トランスジェンダーという言葉に対しては、受け入れる人、納得がいかない人、拘泥しない人、さまざまな立場があります。そのため、話者の真意を問わないとどういった状態を指すのかわからない用語となり、文脈の理解が欠かせなくなりました。
 医療概念である「性別違和」や「性別不合」、あるいは今は使用されなくなった「性同一性障害」や「性転換症」は、診断概念として他者が判断するための用語ですが、トランスジェンダーは、当事者が自己定義のために使用する「自分たちの言葉」です。つまり、それぞれの人がそれぞれに定義をするため、言葉の持つ中身が一様でないのです。 Xジェンダーやノンバイナリーの人の中には、自己をトランスジェンダーではないとする人もいればトランスジェンダーであるとする人もいます。「出生時の性別のまま暮らしているけれど実はトランスジェンダー」という人もいれば「性別に違和感はあるけれど社会的に性別移行はしていないのでトランスジェンダーではない」という人もいます。
 トランスジェンダーという用語は、当事者が自己を表現する概念を模索する中で培われてきました。上述のWPATHのガイドラインでは「現在使われている言葉が今後変わっていくかもしれない、という言葉の変化について認識することが議論された」と明記され、用語の意味や使われ方がこれからも変わっていくことへの自覚を促しています。

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