齊藤 彩〔著〕 講談社、2022年

 頁をめくる手が止まる。ふと深呼吸を繰り返す自分に気づく。これが小説ならばどれほど救いだろうかと束の間願う。事実は小説より怪であり壮絶な絶望にも満ちている。本著は母子密着の二者関係で身動きがとれず他者との繋がりが断絶され、法の一線を超えざるを得なかった親子の修羅が色濃く描かれている。
 2018年滋賀県の河川敷で腐敗した遺体が見つかり、娘である高崎あかりさん(仮名)が死体遺棄等の容疑で逮捕された事件。母親の圧倒的な支配と暴力の下、彼女が医学部入学を目指して九浪を重ね、ついに自らの手で母を殺めたニュースは記憶に新しいだろう。初公判が始まると、連日マスコミは、過剰な「教育虐待」として報道した。本著は、通信社の記者である著者が、拘置所の彼女を訪ね、膨大な取材をもとに上梓した渾身の一冊である。
 詳細は本著に譲るが、読み進めるにつれ、息苦しさと無力感に襲われる。とはいえ、書を閉じる気にならないのは、本作の問題提起が対岸の火事とは思えないからであろう。というのも、事件化には至らずとも、似たような話は、私たちの身近なコミュニティに溢れているからだ。そうした意味で、彼女と母親を巡る確執と相克は過剰でこそあれ、周縁化された異世界ではなく、こちらと地続きの地平だといえよう。
 多様性に開かれた令和でもなお、学歴偏重の信仰は根強い。母子の共同作業は小学校受験から始まり、中学受験、そして、入学と同時に大学受験の通塾が始まる。果ては、親が就活の面接にも同行する時代だ。それは、あたかも、終着駅のない堂々巡りの旅路に似ている。どこまでもゴールがない。私たちを取り巻く社会には、そうした重圧や閉塞感が蔓延してはいないか。子どもの出来不出来は、ともすると親の「通知表」となり、子を介しての代理戦争は過熱し、両者を追い詰めていく。
 本来は、子の行く末を願う純粋な期待や愛情。そうした親心所以の起点が、どこからか捻じれ、母子関係を難しいものに変質させる。とはいえ、ここに「所属」すれば安泰という、わかりやすい片道切符を欲する心を、「親のエゴ」「不安の投影」と一蹴しても意味がないだろう。親には親の育ちがあり、配偶者や祖父母の評価にも晒されているからだ。一般に加害者の被害者性は知られているが、本著の母親もまた世代間連鎖の呪縛を暗々裏に抱えている。
 親もまた孤独であり、不完全で切ない存在だ。だからこそ、良かれと思って、子の挫折や失敗のリスクとなる小石を取り除く。必死にだ。けれど、取り除いても次の小石は待っている。どんなに親が先回りしても、不安は回収できない。子の将来とは不確かで茫洋とした宇宙なのだから。
 ある時そうした親や子が、幸いにもカウンセリングの門戸を叩く。私たちは、その心を聴く。そして、拗れた関係性の痛みや葛藤に手当てを試みる。孤独と孤立から護るために。「孤」族が安らかな家族に還れるように。
 最後に、一つだけ。本著が絶望だけでなく、一縷の希望の光も宿していることを記したい。刑務所に移送された彼女は、疎遠だった父親との接見や弁護士、同囚との繋がり、時間の力を介して心を修復していく。閉ざされた二者関係が三者関係の緒に開かれた時、彼女はこう漏らし流涙したという。
「自分の味方は、周りにもたくさんいるんだ」

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