対人関係の相談

 私は中規模の国立大学で学生相談を担当しており、学生同士の人間関係に関する相談も多くうけています。学生同士の関係が「悩み」として立ち上がる時とはどんな時でしょうか。喧嘩をした、意見が対立して揉めた、相手の言動で嫌な思いをしたなど、具体的なトラブルの相談がまず思い浮かびます。学生間のハラスメントや犯罪事案に遭遇したこともあります。
 一方で、「揉める」「葛藤する」以前の悩みも語られます。学生相談で出会う悩みはこちらの方が多いくらいです。そのような学生たちは他者とではなく自分の中で葛藤しています。本当は同級生ともう少し仲良くなりたい。自分の話もしたい。だけど自分の話は相手の負担になり、迷惑かもしれない。相手はそのことに興味がなく、鬱陶しいかもしれない。彼らは「もっと仲良くなりたい」という気持ちと「他人に迷惑をかけたくない」「負担になりたくない」という気持ちがせめぎあって、身動きが取れなくなっています。そういう時よく登場するのが、「周りからどう思われているか気になる」というフレーズです。「どう」とは「嫌われたかも」みたいなふんわりしたネガティブなイメージで示される場合もありますが、よくよく聴いてみると、その「どう」が具体的に「どう」なのかあんまり想像していない場合も多い。
 私はここに他者と葛藤することそのものへの忌避感があると考えています。もし人と深くかかわって意見や考えが対立したらどうしよう。もし友達を傷つけたり自分が傷つけられたりしたらどうしよう。そのとき自分はどう思われるかな。そういった他者との葛藤に伴う不安や様々な感情をもちこたえつつ、話しあったり譲歩したり説得したりしながら対立をおさめること。さらには傷ついた関係を再構築すること。場合によっては決別もありうること。そういう人とのかかわりやその結果を引き受けることができると思えなければ、葛藤自体を、ひいては対人場面そのものを避けるしかなくなります。もちろん人とのかかわりを避けることで、他者との親密感や信頼感を伴う関係性を育てることは難しくなり、今度は寂しさや孤立感が問題となります。

学生たちの微妙な距離感

 もちろん、ここまで極端に回避的な学生たちは少数派です。多くの学生たちは学科内で、サークル内で、バイト先で、濃淡様々な人間関係を生き、特に親しくなった人たちと卒業後もつながり続けています。ただし総じて、他者とかかわりつつも極力葛藤を避けようとする傾向はあると思います。そのあたりは程度の問題とも言えそうです。迂闊に他者と衝突しないように適度に距離をとる、他者との距離の詰め方は慎重にやる、というのは割と多くの学生同士の関係でみられることです。自分だけでなく他人が誰かに嫌われたり怒られたりするのを見るのも嫌だから避けるという学生もいます。他人とのバウンダリー(境界線)が緩いために他者の反応が侵入的に体験されるので、その分だけ距離感は遠目にしてバランスをとるわけです。距離を取ること自体は理にかなっています。なぜなら揉めるのをただ避けようとすると、自分にとっては不本意でも他人を拒絶することが難しくなりがちです。その上さらに距離もとれないとなれば、他人からの搾取や支配的な関係を受け入れざるを得ない可能性が高くなるからです。
 そういう学生たちは迂闊に他人の私的領域や嗜好に踏み込んだりしませんし、迂闊に自分の私的領域や嗜好を晒したりもしません。他人と意見や感じ方が違うなと思うことがあっても、論争したりせず、だいたいはその場では飲み込みます。そのかわりもやもやする気持ちを当事者ではなく別の人(他のコミュニティの友人や、特に多いのが母親)に聞いてもらい、いわば外注によって解消します。それはお互いへの無関心からくるというよりむしろ現代的なデリカシーの形です。迂闊に相手の嗜好や意見、考え方を否定しない、されないように気を付けているのです。彼らはとても人に優しく、人間関係においてはなにより平穏と秩序を愛しています。
 実は、そもそも学内で人間関係を作る気がないという、ある意味捌けた学生たちもいます。背景はいろいろありそうですが、授業の資料や情報はオンラインで共有されるし、少なくとも道具的にみれば必ずしも友人は必要ではないというわけです。このあたりは中高生までと大学生は少し違います。高校生くらいまではクラス単位で動くことが大半なので、その中での人間関係の比重は大きいでしょう。せめてクラスに一人くらいは話せる子がいないと居心地が悪い。一方、大学生の場合はそれ以外のコミュニティ(特にアルバイトと地元)があれば、学内に取り立てて親しい友人がいなくても、それが特に問題にならず過ぎていったりします。授業はひとりで受けて、終わったらさっさと帰ればよろしい。それはそれで平穏な日々です。特に今の学生たちは高校までの友人たちとSNSでつながっていることが多いので、良くも悪くも人間関係が更新されにくい部分もありそうです。大学に特に友達はいないけど、地元の友達とは仲良しでずっと遊んでいるみたいな人もわりといます。

SNSで広がりつながる関係

 最後に、学生の人間関係とネット・SNSとのかかわりを簡単に述べます。最近の大学生はあまり合コンをせず、出会いを求めるときは主にマッチングアプリを使いますが、人間関係がリアルな人脈だけでなく、インターネットを介して広がっていくわけです。SNSが果たす役割も同じで、特に推し活をしている学生のSNS上の交友関係は目を見張るものがあります。そこの人間関係で支えられている人もいます。ただしSNSはあくまでリアルな友人限定で使っている学生も多いですし、まったくやらない学生もたまにいます。複数のアカウントを用途やコミュニティによって使い分けることもあります。SNSアカウントの使い分けというのは一見煩雑そうにみえますが、学生たちは共有できる相手と共有できるものを弁別しつつ器用に使いこなしています。発露するパーソナリティも対人関係によって違ってくるわけで、自己の多面性をナチュラルに使い分けているその感じが現代では適応的に作用するのだと思います。SNS利用をリアルな友人関係に限る場合、その人の人脈はSNS上で広がりはしませんが、リアルな社交がSNS上で拡張され、それが他者からも可視化されます。つまり、リアルで距離を置きたい友達へのフォローをそっと外すとか、恋人が別の人と相互フォローしているのを見て不審に思い問いただすとかいうことが起きます。そういう動きを周囲の人も見ているわけで、周囲への何らかのメッセージとして機能する(させる)こともあります。ともあれその複雑さのなかを学生たちは生きており、これも現代の学生たちの対人関係のありようを理解する上で欠かせない側面です。

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