私の趣味は映画鑑賞です。映画は、二時間前後という驚くべきコンパクトさで、私を別世界に連れて行ってくれます。映画の魅力は言い尽くせませんが、セリフ・音楽・演技・衣装・カメラワークなど、様々な工夫がはりめぐらされ、演出技術の総結集を味わえるところが特に気に入っています。膨大なスタッフの名前がぞろぞろと流れていくエンドロールをうっとり眺めながら、ストーリーや名シーンを振り返り、感動をそのままにレビュー記事をアップする。私の至福の時間です。
ところで、このコーナーのタイトルは「こころのリフレッシュ」と言います。「リフレッシュ」という言葉には、疲れた身体でザバーっとシャワーを浴びたときのような、あるいは暑い路地から冷房のきいた建物に入ったときのような、今までいたところから方向性がパッと変わるイメージがあります。
となると、ここでは心理臨床にとって学びが多く、人の心について考えさせられるような映画を挙げるのはちょっと違う気がします(そういう映画に興味がある方は、本誌前号の特集「心理臨床のフィクションとリアル」をお読みください)。ですので、私の思う映画の「リフレッシュ部門」、ゾンビ映画について紹介しようと思います。
ナイト・オブ・ザ・リビングデッドから見るゾンビの特徴
ゾンビ映画といえば、おどろおどろしいゾンビたち、人々の阿鼻叫喚・・・・・・「リフレッシュ」という爽やかな語感とは、一見するとミスマッチです。なぜ、ゾンビ映画でリフレッシュができるのでしょうか。ゾンビ映画の元祖にして定番、ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を観ながら説明していきましょう。
まずは冒頭のシーン。主人公バーバラとその兄がお墓参りに来ました。そしてゾンビが現れます。そう、ここがまずポイントその①です。ゾンビ映画の中では基本的に、ゾンビはすでに「いる」ものなのです。緻密なSF設定もあっとおどろく伏線回収も必要ありません。ご当地ゾンビアイドルアニメ『ゾンビランドサガ』のセリフを借りれば、「なんやかんやで墓からドーン!」で彼らは出現します。「化学物質だ、ウイルスだ、突然変異だ・・・・・・」。劇中のラジオではそんな憶測も飛び交いますが、ゾンビを目の前にしたらもはや「なぜ?」は無益です。倒す・逃げる・生き延びる。人間に出来ることはただそれだけになります。
場面が進み、一軒家に逃げ込み仲間と籠城するバーバラたちのもとに、ぞくぞくとゾンビが集まってきました。彼らをよく見てみましょう。人を見つけて喜ぶ様子も、怪我をして痛がる様子も見せません。唯一の弱点である頭部を壊すまで、淡々と人間に襲いかかってきます。ポイントその②は、このようなゾンビの極端な単純構造です。彼らには物音や光に刺激されて襲いかかる「機能」だけがあり、「心」がまったく無いようです。それゆえに、見慣れてくれば、ゾンビへの恐怖心はなくなります。もちろん、危険なものとして危機意識は抱きますが、何を考えているかわからない不気味さはありません。ホラー映画との大きな違いがここにあります。またその無反応さによって、生きるものを傷つけてしまったことに伴うこちらの痛みも生じにくくなります。そうして、ゾンビ映画を"痛快"アクションとして楽しめるのです。
ストーリーも佳境に入ってきました。パニックに陥った人間たちは、事故や仲間割れを起こして一人また一人と命を落としてしまいます。ゾンビに囲まれた状況では、無茶をしたり自分勝手に振る舞ったり、泣き叫ぶばかりで何もしなかったりといった人間の弱さが命取りです。「もう、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」「火を使うならもっと・・・・・・!」と、画面のこちらから声をあげたくなります。それでも、主人公たちが生きた人間だからこそ、そんな不器用さも見られるのでしょう。ポイントその③、ゾンビのいる世界では、利己的な行動も非力さも、あらゆる「人間らしさ」を愛おしく見ることができるのです。
そろそろクライマックス。ついにバリケードの内側からもゾンビが現れてしまいました。「感染」というやっかいな性質によって、安全地帯があっという間に戦場に早変わりするところもゾンビ映画の見どころのひとつです。さらになんと、この新しいゾンビは突然道具を使って的確に攻撃してきました。今までのゾンビはもっと鈍くて、ぶかっこうだったのに・・・・・・。もうわけがわかりません。「だってそのほうが雰囲気出るでしょう」。ロメロ監督の声が聞こえてきそうです。
悪魔・怪物といったホラーコンテンツが「悪」や「恨み」のイメージを担っているのに対して、ゾンビが体現するのは「無」です。「Living-Dead(生きる死体)」の名が表すとおり、生から死への時の流れは止まり、生態はねじれを伴います。永遠に肉を求め続けても飢餓で死ぬことはなく、あんなにたくさん食べても「ゾンビの糞」あるいは「排泄シーン」なるものは存在しません(私の見る限りでは)。そんな不自然なゾンビと対峙すればこそ、生き延びる人間の自然な、ありのままの生がみずみずしく映るのです。画面をオフにし、大きく深呼吸をしましょう。ああ、この世に生きているってすばらしい。これぞ、リフレッシュではありませんか。
ゾンビ映画バリエーションズ
ゾンビ映画はいまやひとつのジャンルとして人気を博し、多くのゾンビ映画が続きました。ゾンビ自体は、ロメロ監督が「人を襲い、頭以外は不死身で、感染により増殖する」という基本原則を打ち出した以外に定義を持たないので、描きたいストーリーに合わせて設定のアレンジが可能です。たとえばダニー・ボイル監督『28日後・・・』では、潜伏期間のないゾンビウイルスにより人がその場でゾンビ化するためパニック感が強く、邦画ゾンビで最も有名な『アイアムアヒーロー』では「生前の習慣を反復する」という設定を付与したことで絶妙なウェット感が演出されています。最近では、こういった映画ごとの独自設定も楽しみのひとつです。
さて、普段頭を空っぽにして見ているゾンビ映画について一生懸命文章をまとめたおかげで、すっかり疲れ切ってしまいました。書き終えたら、最近お気に入りのドラマシリーズ『ウォーキング・デッド』の続きでも見ることにします。