子育て中の親は現代社会のマイノリティ

 不況や大規模災害などによって社会が不安に晒されると、弱い立場の少数派の人々に怒りの矛先が向けられ、排除の対象になりやすいことは歴史的に証明されているとおりです。二〇二〇年初頭からわが国を襲った新型コロナウイルス感染症のパンデミック(コロナ禍)も同様に、さまざまな差別や偏見を生み出し、人間の心の弱さやもろさを露呈しました。
 核家族化や少子化が進む現在の日本では、乳幼児を育てる親もまた社会のマイノリティです。緊急事態宣言下で「Stay Home」と政府が広報したときも、幼子を抱える母親(ときに父親)が遭遇するつらさには想像が及んでいなかったのではないでしょうか。
 ひとり親だったり、パートナーがいても自室にこもってリモートワークしていたりすると、生活必需品を買いに行くにも乳幼児を連れて外出せざるを得ません。たまには子どもをのびのび遊ばせたいと思って近くの公園へ行くと、遊具は使用禁止でロープが張られ、通りかかった人に冷たいまなざしを向けられます。やり場のないイライラをわが子にぶつけてしまい、さらに罪悪感にさいなまれた若い人は少なくなかったはずです。

なかなか表明できない子育ての「負(マイナス)」の感情

 コロナ禍でDVや児童虐待が増える恐れを法律家や心理臨床家は早くに指摘していましたが、二〇二〇年度の「児童相談所での児童虐待相談対応件数」などのデータを見る限り、顕著な増加現象は表れていません。一方で「虐待相談の内容別件数の推移」を見ると、二〇二〇年度は「心理的虐待」の割合が過去最多であることがわかります。つまり、親子の目に見えない関係性の中で、不安や不満、怒りなどの負の感情が増幅されている可能性が考えられるのです。
 わが国では、母親になった女性は子育てを楽しみ、子どものためには喜んで全力を尽くすものだという幻想が社会に根強く存在しています。そのような世間のまなざしゆえに、とりわけ女性は、子育てに対する否定的な思いを表現することが難しく、自覚さえしにくくなっているのではないでしょうか。抑圧された感情は思いがけず暴発したり、病の症状になったり、自分を苦しめたりします。

子育ての「常識」から自由になる

 日本文化の根強い母性幻想にコロナ禍が加わり、今、子育てにはかつてない不安な状況が生まれています。親子で過ごす時間が増えている一方で、活動制限が長期化し、祖父母や友人家族との交流もままならず、子どもの発達にどのような影響が及ぶのかは未知です。また、わが子のワクチン接種をどうするのか、決断の責任を自分は負えるのか、子どもが幼いほどその重圧は高まります。
 そんな中で、子育てのつらさに圧倒されそうになっているなら、ぜひ世の中にまん延する常識から自由になり、子育ては自分一人で行うものではないこと、子どもはいつか巣立ち、その営みには「終わりがある」ことを思い出してください。「終わりがある」と考えることで、私たちは目標(ゴール)を定め、そこに向かって歩んでいくことができます。子育ては有限の時間の営みです。だからこそ、喜びもつらさも含めた無限の学びの可能性を秘めた経験にもなるのです。

参考文献

高石恭子(二〇二一)『子育ての常識から自由になるレッスン― おかあさんのミカタ』世界思想社

広報誌アーカイブ