まず最初に断っておかなければいけないことがあります。私は鑪先生の直接の教え子ではないですし、先生の勉強会やセミナーに所属した経験もありません。私淑していたというのも微妙に実際とは異なっていて、あえて言えば「歴史上の偉人」のように思っていた気がします。そのうえで、あくまで一人の若手臨床心理士として鑪先生について書かかせていただきます。
直接の教え子ではない私が、鑪先生と最接近したのはこの広報誌「心理臨床の広場」(24号)のインタビューの時でした。どこの馬の骨とも知らない私を先生は歓迎してくれました。先生は私を不必要に緊張させないようにとしてくださっていたように思います。その心遣いや歓迎のムードはオフィスや先生の佇まいのなかに自然と漂っているようでした。
先生の話は、戦後の焼け野原のなか戦争孤児たちを被験者に心理学実験を行った話から始まりました。話を聞きながら、私は先生がこの話を何度もしてきたのだろうと思いました。淀みない流れのなか、ところどころにくすぐりがあり、ドラマのような先生の体験談にあっという間に引き込まれてしまったからです。インタビュー後、お礼のご連絡をすると思いがけない長文の返信が届きました。インタビューを受けるなかで、卒業論文の実験中に考えていたことと、かなり経った後のエリクソンの翻訳にまつわる仕事に共通点があったことに思い至ったというのです。卒業論文で行った発達心理学的な研究が、のちのエリクソンの訳語の選択に影響を与えていたのではないかということを「家に帰った後急に思い出しました」と書いておられました。浅慮な私が「ははぁ面白い話だなぁ」と笑っている間、鑪先生は単に今までしてきた話を繰り返しているわけではありませんでした。それどころか、自らを語るなかにおいて自身の無意識の働きにしっかりと取り組んでおられたのです。そしてその流れの点と点が線になったことをわざわざ教えてもくださいました。無意識の探求への真摯な姿勢に大変驚き感銘を受けました。
先生のご著書は一般向けに書かれたものも多く、たくさんの人々に心理学や精神分析に触れる機会を提供してきたと思います。冒頭で直接教えを受けたことはないと書きましたが、私自身「臨床心理士という仕事があるらしい」と考え始めた高校時代、倫理の授業で習ったエリクソンの発達段階を通して心理学を知ることになりました。それを思えば、そもそも私を臨床心理学へ導いてくれたのも鑪先生だったのかもしれません。臨床心理学は面白く、人一人が人生をかけて取り組む価値があるものであることを先生は教えてくれました。そして私たち後進を誘い、歓迎もしてくれました。こんなに歓迎してもらえたのだから、鑪先生から受け取ったものを大切に守り、次の世代にも受け継いでいきたいと思います。鑪先生ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。