大切にしている心象風景

 幼少期を関西の自然豊かな郊外で過ごしました。当時の心象風景のようなものが、今も自分の世界観を支えていると思います。春は近所の原っぱで走り回り、夏は父が庭で育てたスイカを食べ、秋は落ち葉のプールにダイブして遊び、冬は暖かい家の中で読書三昧。子どもの頃は、目に入るものすべてが鮮やかで、花や虫や雑木林がみんな友達でした。風がそよぐのを感じるだけでうれしい。毎日日が暮れるまで遊んで、夜はぐっすり眠って夢の中。頭の先からつま先までまるで全身が〝こころ〟のようでした。感じるよりも考えるよりも、深く、広く、世界を享受した時代でした。日々の臨床に携わるとき、この子ども時代の感覚を最も頼りにできればと思っています。

研究と実践のあわいを生きる

 現在、青山学院大学大学院の博士後期課程1年に在学しつつ、附置心理相談室と児童相談所でクライエントにお会いしています。心理療法とはなにか。人が治ってゆくとはどういうことなのか。臨床心理士養成の大学院で学べばきっとわかるだろうと思っていました。しかし、修士課程を修了しても当初の問いはわからないまま、むしろ疑問は深まるばかり。このまま臨床の現場に出ても自分の知りたいことにたどり着けない気がしました。また、卒業と同時にご担当するクライエントとの面接を終えることも想像できませんでした。研究それ自体への畏怖はありましたが、良き師にも出逢い、私にとって進学することは自然な流れでした。
 実は、大学院に進学する前はごく普通の会社員をしていました。そのため、心理士という仕事はある意味とても特殊な仕事だと思います。なぜなら、私たちは商品を売ったり、髪を切ったりなど目に見える何かを提供する仕事ではないからです。心理士は目に見えないものを大切に扱います。クライエントの歩む道をゆっくり深く供する。それは同時に心理士の人生にとっても意味のある歩みです。ここが心理職の奥深さであり、静謐な喜びともいえましょう。ところで、長田弘著の『深呼吸の必要』にこんな詩があります。「声はからだである。からだとは肉体ではない。からだとはことばである。それは姿勢であり、歩き方や身振りであり、声であり、命である」。心理士を志してから、自分自身が仕事道具なのだということは常々忘れないようにしています。
 一方、現在の研究テーマは「心理臨床における遊ぶこと」です。遊戯療法のみならず心理面接での遊びも扱います。遊びの研究はテーマが非常に大きく、一筋縄ではいかないことが多いですが、自分なりに心理臨床の営みをことばにできたらいいなと思い日々取り組んでいます。そして、研究自体が私にとっては真剣な遊びです。学会では、日ごろ臨床や研究に真摯に取り組む皆さまと出会えることを心より楽しみにしています。

引用文献
長田弘著『深呼吸の必要』晶文社、1984年

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