心理臨床におけるケアとセラピーという問いに対して真正面から取り組まれた学術書

 「居るのがつらい」という体験は、皆さんも一度はあるのではないでしょうか?
新しい学校や職場で、どこに居たらよいのか分からなく落ち着かないときはないでしょうか?
 副題に書いてあるケアとは「傷つけないこと」、セラピーとは「傷つきに向き合うこと」という側面を持っています。心が傷ついたときには、傷を癒す時間や場所としての「ケア」が必要です。そして、前に進んだり変わりたいと願うときに、人は自身の傷つきに向き合う「セラピー」が必要だったりします。
 本書は、臨床心理士(以下シンリシ)や援助職の方をはじめ、シンリシを目指している人にオススメの一冊です。その理由は、今、貴方に出会って欲しい物語がこの本にあるからです。
 主人公である著者は、京大卒博シンリシとして、意気込んで臨床の野(沖縄の精神科クリニック)に飛び込んでいきますが、最初の仕事は「ただそこに座っている」ことでした。セラピーという人の深層に触れる「心の治療」に憧れていたシンリンに待ち受けていた現実は、デイケアという凪の時間でメンバー(利用者さん)と共に時間を過ごしていくケアの仕事でした。著者のデイケア臨床での日々がエッセイ調かつ物語として書かれており、デイケアでの人間関係やそこで起こる事件を、臨床心理学やポストモダン哲学、社会学などを用いて紐解いていきます。舞台はデイケアですが、私たちシンリシが普段の臨床で感じる疑問や謎について、著者が専門的な知識を交えながら、分かりやすくそして深く考察してくれます。
 シンリシが関わり、出会うクライエントは、様々な場所で「居づらかった」経験をされていることが多いです。不登校や引きこもり、虐待や家庭環境、職場での人間関係や対人不安など人によって抱えられている悩みは違います。
 しかし、人は皆同じように誰もが傷つきやすさを持ち合わせ、内側に抱えています。それは時々、日常を脅かし、食い散らかし、言うことを聞かない怪獣になったりします。
 「僕らの日常だって同じだ。〈中略〉上司に叱責されたり、信頼している人に裏切られたり、恋に落ちたりすると、ありふれた日常がいとも簡単に焼け落ちる。心にくすぶっていた火種が、一気に燃え広がる。すると、いつもの自分と違う自分が出てくる。そして、学校に行けなくなったり、大切な人間関係を壊してしまったりする。当たり前だったはずの「いる」ことが不可能になる。」(本書八〇頁)
 「ただ、いる、だけ」にケアの本質を見出しながらも、「本当にそれでいいのか」と自問するシンリシの苦悩と格闘の日々は読んでいて引き込まれていきます。本書を読まれる多くの読者、特にシンリシや援助職の方は著者と同じようにもがき、悪戦苦闘した日々を想うのではないでしょうか。若手シンリシの私は重なりを感じずにはいられませんでした。
 今自信がなく落ち込まれていたり、悩まれているシンリシの方に読んでみて欲しいです。本当にとても面白く、泣けて笑えて励まされ、著者が「居るのはつらいよね」と語りかけてくれる本です。
 本書を読んで私は明日からも「シンリシ」で「いること」が頑張れそうな気がしました。




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