( 音楽の力 )

 音楽によって癒されたり、励まされたりしたという経験は誰にでも少なからずあるのではないでしょうか。私自身は、親に叱られたり誰かとけんかしたりしてむしゃくしゃしていた時、大切な人を失い悲しみの中にある時、不安やプレッシャーで追い込まれた時、ピアノを思い切り弾いているうちに気持ちが落ち着くということをしばしば経験しました。カラオケでストレスを発散しているという人も多いでしょう。音楽を使ったセルフケアです。

( 多様な音楽療法 )

 心理臨床には芸術療法という領域があります。芸術は、言葉に依存しない、無意識が表現されやすい、創造的である、自由な自己表現を促す、といった点で大きな力を発揮します。

絵画、陶芸、ダンス、演劇、詩歌、その他さまざまな芸術が心理療法に取り入れられています。音楽療法もそのひとつであり、非常に多様な技法があります。集団での歌唱、合奏、クライエントが即興的に鳴らす楽器の音にセラピストが他の楽器で合わせていく一対一で行う方法など、さまざまな音楽の使用形態があります。

演奏する形もあれば、聴く形もあります。行動療法を基盤とした音楽療法、精神分析を基盤とした分析的音楽療法、神経学的音楽療法などもあり、子どもから高齢者まで、さまざまな病状の人を対象として行われています。

( 関係性 )

 音楽療法というと、楽曲自体の持つ力によって癒すというイメージがあるかもしれません。しかし実際には、「音楽」と「クライエント」との間、また「クライエント」と「セラピスト」との間で何が起こっているかが非常に重要であり、それをどのように捉えてセラピーに活かすかがセラピストの腕の見せどころです。被災地や病院のベッドサイドで、望んでいるかどうかわからない人に演奏を聴かせたり、オフィスで集中力を高めるとされるBGMを常に流したりすることは、害となることもありえるということに十分な注意が必要です。ある人には癒しをもたらした曲も、別の人には、また同じ人に対してでも別の状態の時には、害になってしまうこともあるのです。

( 調整的音楽療法 )

 前述の通り音楽療法にはさまざまな形態、技法がありますが、セラピストに高い演奏技術が必要な技法も多いため、音楽療法の多くは、音楽大学等にある音楽療法コースで学んだ音楽療法士によって施行されています。その中で、演奏技術を必要とせず、音楽を使った心理療法と言うことのできる技法に、調整的音楽療法(RMT)があります。RMTのセッションでは、毎回一〇分〜一五分ほどの音楽を聴取し、その後、聴取中の体験の分かち合いを行います。

音楽聴取にあたっては、閉眼し、注意を、①「音楽」と、②「身体の感覚」と、③「考え・感情・気分」とに向けて、振り子のように行き来させる、ということが求められます。
その時大切なことは、この三つの領域のどこで起こっていることも「ありのままに知覚すること」と「生起するままに放っておくこと」です。

三つの領域のそれぞれで起きていることにしっかり気づきながら注意を動かすことによって、特定の部分への神経症的なとらわれ(例えば気になっていることが頭から離れない、痛い部分ばかり気にしてしまう、など)から解放され、心身の不自然な緊張が良い状態に調整されることを目指します。使用する音楽は主にクラシックの管弦楽曲です。二〇セッションから成るプログラムの初期にはゆったりとした鎮静的な曲調の音楽を使用して、リラックスした中で身体の知覚の仕方や注意の動かし方を練習します。次第に活性的な曲、ダイナミックな変化のある曲を使用して、心身に生じるさまざまな事象を好き嫌いや良し悪しの判断なしに受け止める練習をします。最後の段階には不協和音や予測できないリズムなどが使われている現代曲を用いて、一瞬一瞬を捉え、今を生きるという感覚をつかみます。最終的には、音楽を用いなくても、周囲にある日常の雑音や自然の音を利用して、いつでもどこでも自分の状態に気づき、心身の状態を調えられるようになっていきます。

( 調整的音楽療法とマインドフルネス )

 RMTは一九六〇年代にドイツで生まれた技法ですが、そこで求められている在り方は、近年注目されているマインドフルネスです。ヴィパッサナー瞑想と非常に似た方法ですが、音楽を利用することによって、学生や一般の人も気軽に体験でき、また心身の不調がある人にも安全に施行できる療法になっています。

( 調整的音楽療法における音楽の役割 )

①心身に多様な反応を引き起こす働き:観察する材料を増やし、訓練しやすくします。


②注意を自分の外に引きつけさせる働き:考えにはまってしまいがちなクライエントや、身体の不調を抱えていて身体のことばかりが気になっているクライエントの注意を、音楽の方に引きつけることができ、とらわれから離れやすくなります。


③「今」を捉えさせる働き:音楽は「時間の芸術」であり、刻々と過ぎ去っていきます。そのため「今」生じていることを知覚するマインドフルネスの練習材料として最適です。


④関係対象としての働き:RMTにおいて、音楽は「周囲の人間や環境の代替物」です。本人の意思とは無関係に現存し、本人の中にさまざまな反応を引き起こします。音楽と上手に接触してゆくために、知覚の仕方や体験の仕方を工夫する必要があります。常に「周囲の環境とその中にいる自分」を捉える練習をすることができます。


⑤時間と空間の枠を提供する働き:音楽を流すことで、セラピールームという枠の中にさらに安全な枠が提供されます。音楽再生中は安心して瞑想に取り組めます。そのため一〇分という短時間でも十分にマインドフルな状態になることができるのです。

( 調整的音楽療法の効果 )

 私はこの療法を長年に亘って、学生相談室、子育て支援、アスリートのメンタルトレーニング等で用い、セラピストを養成するグループも行ってきました。あがり症、不安、抑うつ感、イライラ、神経過敏、注意の偏り、などに効果が得られ、不安な考えで頭がいっぱいになりがちだった人が、自信を持ち、生き生きと生活できるようになる例を多数経験しました。神経症的・心身症的症状の改善にも、健康な人のストレスマネジメントにも有効な技法です。
 このように、音楽は心理臨床において、さまざまな形で用いられ、ユニークかつ有効な役割を果たしています。

広報誌アーカイブ