はじめに

 私は、2011年3月11日の東日本大震災後、10月に緊急スクールカウンセラー(以下、SC)派遣事業に応募したことをきっかけに、SCとして相双地域の県立高校(4カ月間)と小学校(5年間)に行きました。その後、県中地域の県立高校に異動して三年目になります。被災地外から中長期の支援に入るという視点から、これまでのSC活動をふりかえってみたいと思います。

活動中に心に留めていたこと

 震災半年後から中期にかけては、教職員の方々などの大人の疲弊も目立ちました。大人は子どもの支援者でいることを求められ、デリケートな立場や関係もあります。被災地外から来たSCとして先生方や保護者から被災状況を聴く時は、その方もひとりの被災者であることを忘れないようにしていました。
 震災後、時間が経過するにつれ、震災・原発事故被害があまり語られなくなり、その影響が見過ごされがちになっています。児童・生徒さんを理解する時に、「震災の時に何歳だったのか?」「何か被害体験はあるだろうか?」ということは念頭において話を聴いています。たとえば、原発事故からの避難生活で小中学校の転校を繰り返してきたことが、同世代との関係性に影響を与えているのではないかと思われる生徒さんや、非常に不安定な気持ちの背景に、震災後の大きな家庭環境の変化があったりします。
 同時に、支援の「終結」を考えない訳にはいきません。先生方へのコンサルテーション、面接のフィードバック、生徒理解や対応に関する先生向けのお便り等を通じて、校内の教育相談体制作りを支援することを大事にしています。黒子に徹する姿勢を、都内でSCとして活動する時よりも一層意識しています。

中長期支援を支えてくれるもの

 東京から福島に毎週のように通勤するのは、相双地域への勤務の時には前泊もありましたので、時間的、体力的、精神的、経済的に負担がないとはいえません。国と福島県による予算的裏付けがあり、報酬と旅費交通費が支給されていることは非常に支えになっています。中長期にわたって支援を継続するためには必要かつ大切なことだと思います。

今後の課題

 心理職として支援のための知識やスキルの向上に努めたり、心理職の職能団体として組織的な体制づくりは本格的に進められています。さらに今後は、私もできているわけではありませんが、臨床現場の知見を国や行政の施策につなげていく努力や工夫が必要だと考えています。とくに原発事故・放射線被害は社会的・政治的な課題であり、長期的にどのような影響があるかも明らかではありません。
 震災後9年が経過し、メディアでも「復興」ばかりが注目されがちです。そこには力を取り戻しつつある被災地の人々の姿を見て、私たちが安心したいという気持ちが働いているかもしれません。しかし県内行方不明者196人(2019年3月8日時点 警視庁)とその家族がおられることを忘れてはなりません。心理職として、今も色々な問題を抱えて苦悩している人々の声を社会に届けたり、施策につながる活動ができればと思っています。

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