人間関係に悩むことなく、毎日平穏な気持で過ごしたいと思っていても、なかなかそうはいかないものです。特に、多くの時間を過ごす社会的な場である学校や職場で、人間関係に問題が起きてくるとつらいですね。そのような問題の筆頭に、「ハラスメント」があげられます。平成元年に「セクハラ」という言葉と概念が日本中に一気に広まり、その後は、「パワハラ」や「マタハラ」などが大きな社会問題となり、これらのハラスメントに対し、学校や企業に対応を義務付ける法律が整備されてきています。

ハラスメントの本質は〝権力の乱用〟

 「ハラスメント」の本質を一言で言うと「社会的立場の強い人から弱い人に向けられた権力の乱用」です。権力とは「相手を自分の意に従わせる力=強制力」を言います。社会的立場が強いとは、役職だけでなく、勤続年数、年齢、ジェンダー、人数などを含みます。
 私たちは社会生活を送るうえで、学校や企業などの組織に所属しています。学校の中でもクラス・委員会・部活、企業の中でも、所属部署・部署横断的なプロジェクトチームなど、複数の組織に所属することもあるでしょう。
 組織には必ず権力構造があり、組織の構成員はその組織の目的を遂行するために必要な一定の強制力を受け入れています。学校では、教育を目的として先生には生徒の成績を付ける権力が与えられ、校長先生には生徒に対して停学や退学などの処分を与える権力が与えられています。
 企業などの組織においては企業活動を目的として、上司は部下に業務命令を出す権力を持ち、社長は従業員に対して「懲戒」を与える権力を持っています。これらの権力は、「校長」「担任の先生」「社長」「部長」といった社会的役割に対して、その役割を適切に遂行することに限定して付与され、社会常識の範囲内で、適切に使われることが前提となっています。
 生徒や部下に対して性的な言動をすることは教育や企業活動の範囲外ですし、長時間の心身を壊すほどの過重な部活動や業務は常識の範囲を大きく超えています。そのような権力の乱用が起こらないように、法律、行政、それぞれの学校や企業により、権力の乱用を防ぐためのルールが設けられています。校長や社長の独断で、退学や退職などの重大な処分を下すことができない仕組みが作られているのです。
 それでもハラスメントが起きるのはなぜでしょう。それは、権力には、"相手を自分の意に添うようコントロールする力を行使すると、自分の力を実感でき、すっきりして気持ちがいい"という側面があるからではないでしょうか。社会的に高い地位に就くと、自分の気分を害さないよう周囲の人たちが気を使うようになります。生徒や部下が、先生や上司の言っていることは間違っている、自分の全人格を否定するようなことを言われた、などと思っても、自分の評価を下げられることを恐れて、当人だけでなく他の先生や上司にも言いにくいので我慢してしまうことも多いでしょう。
 そうすると、当の先生や上司は、誰からも反論されたり注意されたりしないため、"自分の言うことは常に正しいのだ"と勘違いしてしまうのです。つまり"役割に対して与えられた権力"を、"自分という人間が偉い"のだと勘違いして、相手を軽視するようになり、それがハラスメントにつながります。
 もちろんハラスメントをするのは社会的に地位が高い人だけではありません。むしろ、実際には仕事の能力が低いのに、自分は仕事ができると思い込んでいる人が、関係のない人に強い態度に出て自らの心のバランスを取ることがあります。本来であれば、自分が努力して知識や実力をつけ、できないことは教えてもらい、上司や同僚からの指摘によって自分の仕事を修正し、失敗を認めてそこから学ぶことによって仕事の能力を伸ばしていくものなのですが、劣等感が強すぎる場合、修正すべき点を指摘されただけで、全人格を否定されたように感じてしまいます。そして、自分を認めてくれない上司や会社に対して強い怒りを感じても、上司や会社に怒りをぶつけることは怖くてできないので、矛先を180度変えて、自分より弱い立場にある人、部下や派遣社員にぶつけるのです。誰が見ても八つ当たりですが、職場での八つ当たりはパワハラです。
 ところで、SNSなどから「〇〇ハラ」と新しいハラスメントを指す言葉が次々と生まれています。例えば、「スメハラ=スメル・ハラスメント」という言葉は、体臭、香水や柔軟剤の香り、食べ物の匂いについて「私が不快に感じるからハラスメント」という意味で使われています。しかし権力の乱用ではないので、これは本来のハラスメントには当てはまりません。
 日本では「ハラスメント」という言葉が「不快に感じたこと」という意味において濫用されています。「注意されて不快に感じたからハラスメント」「自分がやりたくない仕事を、上司から業務命令として押し付けられたからハラスメント」ではないのです。

ハラスメント以外の権力の乱用

 権力を乱用し、相手を自分の思い通りにコントロールしようとしたり、ネガティブな感情を相手にぶつけてすっきりしようとすることは、家族の中でも起きています。家族の中で、親が親であることの権力を乱用して子どもを過度にコントロールしようとしたり、親の身勝手で子どもに暴力をふるい、子どもの人権が守られないのが「虐待」です。教育熱心過ぎる親などが過度な期待を子どもに負わせ、思う通りの結果が出ないと厳しく叱責することは、「教育虐待」と呼ばれています。
 また、「配偶者など親密な関係にある、またはあった者から振るわれる暴力」は「DV(ドメスティック・バイオレンス)」、同居していない恋人との間で起こる暴力については、「デートDV」と呼ばれています。暴力には、殴る蹴るといった身体的な暴力だけではなく、怒鳴ったり馬鹿にしたりといった精神的暴力、嫌がっているのに性的行為を強要するなどの性的暴力、必要な生活費を渡さないなどの経済的暴力も含まれます。

他人を一方的に利用してすっきりしてはいけない

 最近は、SNS上で、強い人格否定の言葉が飛び交い、特に、有名人のツイッターに否定的な言葉があふれて炎上することが度々起こります。自分が正義の側に立ち、自分より社会的に高い位置にいる人や、社会的に注目を浴びている人に対して、マウンティングして相手を貶めるような書き込みをすることによって、自分が力を持ったように感じることができるのでしょう。自分は匿名という安全な場にいて、他のみんなもひどい言葉をツイートしているから、自分が言ったことは薄まると感じるのでしょう。しかし、そのような言動は、相手をとても傷つけるものですし、他の人たちが見ていてとてもいやな気持ちになるものです。他の誰かを利用して、一方的に自分のネガティブな感情の処理をさせて、気分をすっきりさせてはいけないのです。

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