あまりに当たり前のことは、その重要さがみえなくなることが多々あります。しかし、それが当たり前ではなくなることにより、その意味が浮かび上がってきます。コロナ禍において、学生が、仲間と会う機会を求めること、オンラインであっても仲間との関わりの機会に大きな意味を見出すこと、など。仲間がいて、関わりあうことの大切さは人間にとってかなり重要なものと実感するところです。


 当たり前が当たり前でなくなることでその重要さがみえてくる。私にとっては、二〇年近く住んでいた福岡から、名古屋に転勤したことがまさにそんな体験でした。福岡では当たり前のように周囲にいた先輩・後輩、特にパーソンセンタード・アプローチ(以下、PCA)をオリエンテーションとする身としては、このオリエンテーションに理解のある心理臨床家が周りにいて、色々と語り合える環境にあったことは、今から思うと恵まれていたと思います。そんな環境は当たり前と思っていたら・・・・・・というわけです。
 とはいえ、名古屋にもこれまで交流を重ねてきた信頼できる仲間はいました。そんな仲間とPCAをオリエンテーションとする心理臨床家のための交流の場を作りたいと思いました。はじめは二名、三名のメンバーでしたが、少しずつ増え、七名くらいになりました。私と同じように他のメンバーも「PCAの仲間と交流を持てる場がほしかった」という思いがあったようです。


 月一回二時間程度の場で、特に話題を決めるわけでなく、継続型のエンカウンター・グループのような場。二〇二〇年のコロナ禍ではZoomをもちいたオンラインでのグループとなっていますが、この原稿の執筆時点では三六回を数えています。
 同じ問題や課題を抱える仲間が集まり相互に支え合うグループをセルフヘルプ・グループといいますが、このグループはPCAをオリエンテーションとする専門家のためのセルフヘルプ・グループといえるでしょう。メンバーはパーソンセンタードな態度や関わりを大切にしている人ですから、このグループはパーソンセンタードな雰囲気や風土や心理的安全感を維持しやすいといえます。
 私にとってのこのグループの意義は、まず、同じオリエンテーションの仲間が「いる」ことを確認できることです。仲間がいるということは自分は一人ではない感覚につながり、かなり支えられています。
 その上で、日々の実践上で抱える問題や各自の課題・関心などを、いつもより丁寧に語る/聴く機会となっています。これは自分らしいパーソンセンタード(自他尊重)なありよう・実践などの気づきや探究の契機となっています。仲間やグループの力を借りて、自分や他者の心理臨床体験をいつもとは違うフェイズで見つめなおすことともいえます。


 ということで、「心理臨床家は悩みを誰に聞いてもらうのか」の回答の一つは「仲間」です。当たり前な回答ですよね。心理臨床家は何か特別なイメージをもたれることがありますが、同じ人間ですから、日常の体験と地続きなことも多々あります。むしろ日常に色々ヒントがあり、日常、影になっているその知恵を大切にするというイメージがあります。ただ、日常とちょっと違うところは「丁寧さ」でしょうか。その象徴が「聞いてもらう」と「聴いてもらう」の違いかなと連想しています。

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