セルフケアそれとも相互扶助?

 心理臨床家も生活者であり、生活の当事者だ。なので当然悩みも抱えストレスも抱えている。けれども私はこれまで心理士のプロフェッショナルとしての責任を優先して「トレーニングと臨床そのものが臨床家にとって最上のセルフケアである」「臨床のストレスはクライエント(以下、CL)とともに解消するのが理想」と強気な発言をしてきた。つまり臨床家の悩みやストレスは、十分な内省を経たのちに「CLやスーパーヴァイザー、教育分析家と共有する」ことで、ストレスではなく前向きな取り組みとして生かされると。たとえばセラピーへの抵抗や不満をいろいろな形で表現するCLに対して「たしかに、私の対応にも不十分なところがあったかもしれません。それを一緒に考えていきましょう」と伝えることで、こちらのストレスはCLの取り組みを促進する触媒となり、その瞬間にストレスではなくなる。さらに、そのような働きかけをきっかけとして、CLのトラウマや愛着の傷つきが、(ある種の修正感情体験として)少しでも癒されていったら、お互いの大きな喜びにつながる。


 以上のような思いは、今振り返れば生活者としての当事者性を全く削ぎ落として、プロフェッショナルとしての専門性を極度まで追究した考え方だったと言える。けれどもやはり当事者としての仲間の存在は大切だ。もちろん当事者性が本来的に抱えている「加害性」のリスクを十分に意識したうえでの、当事者性であることを忘れない範囲でだが。
 私が八年前に成城カウンセリングオフィスを仲間五人と開設した時、まずはメールとLINEグループ、ミーティングと立ち話による相互ケアを大切にした。ちなみに最近オフィスに勤務し始めたカウンセラーが「前の職場では心理士同士の会話がほとんどなかったけれど、ここでは雑談もケースの話もできてとても支えられている」と言ってくれている。さらに別のスタッフは、ある日の私のSV中、抑うつ感が顕著で、ヴァイザーとしての私はその抑うつ感に共感し労い、とりあえずゆっくりすることを勧めた。すると数時間後にとても元気な様子が見られたので訊いてみると「SVの後、別のスタッフとくだらない雑談をしていたらうつ抜けしました!」と教えてくれた。

心理士には密な雑談が必要?

 実は、私のカウンセリングオフィスのスタッフルームは、2DKのマンションのキッチンスペースなのでとても狭い。そして、「将来もっと収益が上がったら、広いスタッフルームと個別の部屋を持ちたいな」と夢想したりもする。実際に五年前に廊下の反対側にもう一部屋借り増しした際には、その部屋に私専用のデスクとパソコンを用意した。けれども、そのデスクは今現在に至るまで常用していない。そこに籠っても何もいいことがないのだ。やはり私たち心理士は「密な空間での雑談」を必須としている。このコロナ禍の下では窓を開けながら、暑さ寒さをこらえて密な雑談をしている(幸い感染者は発生していない)。

それでもやっぱり専門性を高め続
けることが何よりの悩み解消!

 Havik ら(二〇一三)の調査でも、CLとの関係の質(作業同盟)がセラピストの個人生活の質に影響されることを示唆している。その意味で、趣味も家庭生活も大切だ。ただそれよりも、教育分析を受けて臨床力が飛躍的に伸びたスタッフの以下のような語りが参考になる。「教育分析と臨床とを通じて私の中の『傷付いた子供』が癒されてきています」と。やはり訓練に勝るものはない。

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