加害者臨床という領域は、心理臨床の世界でかかわっている人はまだ少数です。そもそも虐待やDV(ドメスティック・バイオレンス)といった家族の暴力(加害・被害の問題)を扱ってきたのは、法務省等の司法領域で働く心理専門職が中心だったといえるでしょう。そこでは加害者より、犯罪者と呼ばれていました。

 公務員でも研究者でもない立場で、2000年代前半からDV加害者プログラムや性犯罪者処遇プログラムにかかわり、加害者臨床とそれを位置づけてきたのは例外的だったと思います。70年代から長年アディクション(依存症)臨床にかかわってきたことが、その背景になっていると思います。アルコール依存症の家族は暴力まみれでしたし、その子供たちが受ける影響は言い尽くせないほど深いものがありました。父親が断酒し始めると同時に、思春期以降の子どもたちが次々と問題行動を呈する姿は今でも定番といってもいいほどです。

アディクション臨床の基礎

 私たちアディクションの専門家は、本人のアディクションからの回復を支援する以前に、家族を暴力から守ることが要請されました。開業(私設)心理相談機関は、医療制度に守られることもなく、心理臨床のメインロードから遠く離れた現場でしたが、そのぶん自由であり、80年代という早期から暴力の加害者・被害者を対象とした心理相談(カウンセリング)を実施することができたのです。

 周囲からは逃避や甘えとして批判されがちですが、アディクションは、本人にとっては最も確実で速効性のある「問題解決」なのです。さまざまな困難・挫折・傷つき(トラウマ経験)が積み重なった末の、「生き延びるため」の行為という自己治療的側面を忘れてはならないでしょう。これが自分から進んで援助を求めないことの大きな理由だからです。

家族の暴力とアディクションへの介入

 ファーストクライエントはほとんどが家族であり、カウンセラーに求められるのは、①何が起きているのかを知るための心理教育的アプローチ、②安全確保のための介入、③本人をしかるべき相談機関(医療機関も含む)につなげるための行動修正、などです。

 この3点はアセスメントやコンサルタントの要素も含みますが、迅速で具体的であることが重要なポイントになります。なぜなら、クライエントの生命の危機がかかっているからです。家庭内暴力(息子から親への暴力)もそうですが、酔った夫の暴力が予測できれば、そのまま家に帰れば危険なので緊急避難を勧め、ビジネスホテルや家族入院可能な病院を紹介する必要があります。

 当面の身の安全を確保するための家族への介入を、本人が治療・援助機関につながるチャンスとする。これはアルコール依存症の家族初期介入の基本です。本人からの脅しや懇願によって家族は振り回され、その場しのぎの対応を続けがちです。そこに介入するカウンセラーは、本人からは敵対的に受け取られがちです。これはDVのカウンセリングと同じ構造です。妻が逃げたのはカウンセラーが扇動したと考える夫は珍しくありません。

第三項という選択肢

 その際、念頭に置くべきは「無敵の人」を生み出さないようにすることです。妻が逃げる、親が急に姿を隠す、といった事態が本人を追い詰めてしまうことのリスクを熟知しなければなりません。秋葉原の無差別殺人事件と類似の構造が、しばしばDV関連の事件では見られます。2006年の吉野川DV殺害事件は、妻子が逃げたあと、夫が執拗に私立探偵を使って居場所を突き止め、三人の子どもたちの面前で妻を殺害したというものでした。

 アディクション臨床では、依存症=病気という命題を利用し、「あなたを愛しています、でも酔ったあなたと暮らすことはこれ以上できません。専門治療を受けるためなら協力します」といった文言を本人に伝えます。つまり依存症専門治療を受けてほしいという第三項としての突破口を用意することで、無敵化を防ぐのです。

 しかし近年のアディクション臨床では、このような介入そのもののリスクが問題とされています。出口なしの状況に追い込んで治療につなげるという方法自体が、無敵化を促進したり、時には酒量の増加から死に至らしめる危険性があると考えられるからです。「動機づけ面接法」(Motivational Interviewing) などは、そのような反省から生まれたと言われています。

素朴な疑問

 私が加害者臨床にかかわるようになった経緯はご理解いただけたと思いますが、いろいろな場所で必ず投げかけられるのは「DV加害者ってほんとうに変わるんですか」「DV加害者プログラムって効果あるんでしょうか」という素朴な質問です。

 日本では、DV加害者プログラムは公的には実施されていません。なぜならDV防止法は禁止法ではないからです。つまりDVで妻を恐怖に陥れ110番通報されたとしても、法律に触れるわけではなく、妻が夫を告訴しないかぎり警察は逮捕できないのです。北米や韓国では、DV禁止法が制定されており、逮捕↓留置↓裁判↓裁判所命令による加害者更生プログラム受講という道筋が明確です。つまり無敵化する以前に、司法的関与によって本人のリスクアセスメントが義務付けられ、裁判所命令という強制力によって加害者更生プログラムが義務化されているのです。

 ひるがえって日本ではどうでしょう。被害者がシェルターに逃げたとしても、加害者に対するアプローチは皆無です。いわば放し飼いになったまま、すべてを失った(妻子がいなくなる)という現実を受け止めきれず、彼らは無敵化していきます。報道は少ないですが、ストーカーなどの殺害動機としてこのような言葉を語る男性は珍しくないでしょう。

無敵化防止の機能

 上記の質問に対して、無敵の人というキーワードを使うとひとつのこたえが導き出されます。家族の暴力の加害者に対してなんら法的規制・処罰がない日本において、妻子が逃げた後に彼らが無敵化することを防止するために加害者プログラムは必要なのです。被害者意識に満ちた彼らが、同じような状況の男性とグループに参加し自分のことを語ることの意味はこの上なく大きなものがあります。アルコール依存症の男性が、酒をやめたくない、しかし妻が出て行くことは阻止したいという状況から、専門治療という第三項の突破口につながるのとそれは似ています。

 加害者臨床とは、被害者に責任をとるために、再発防止といった社会防衛のためにも不可欠なものですが、そもそも家族における暴力加害者に対する法整備が不十分な日本において、加害者が野放しのまま無敵化するのを防止する機能を果たしているのではないかと思います。

 この言葉を語る際に、ジェンダー的視点は欠かせないのではないでしょうか。なぜなら、無敵の人のほとんどが男性だからです。追いつめられた男性たちは、自傷行為や死を選ぶのではなく、なぜ他者を、時には無差別に殺害する方向を選んでしまうのでしょう。これは男性性研究にもつながる視点ではないかと思います。

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