「心理臨床なう」の「なう」には二重の意味があります。一つは、すこし以前のSNS等で使われた「なう」と同様、私たち臨床家各々が多様な場面の最前線にリアル・タイムで臨場するという意味です。多様なクライエントと出会う臨床の現場で臨床家の仲間たちが、いまどういう悩みをどう聞いているか、心理学はどういう悩みに対処できてどういうアプローチが可能か、「心理臨床なう」はそうした最前線の臨場報告です。

 併せて「なう」には、私たちが同じ「いま」を共有するという意味もあります。一九七〇年代のテレビ番組「ぎんざNOW!」等では、最前線の臨場感よりも、素人が集まり「いま」を共有する同時的共有感が勝ったと思います。「心理臨床なう」でも、各方面からの最前線報告は私たちで共有され、各自の営みにフィードバックされ、自らの日常臨床に新たな視点がもたらされ、特定の悩みに対する新たな関心が芽生えたりいたします。こうしたフィードバックや共有を媒介する共通言語や受け皿となるのが臨床家の知識と経験です。フロイト以来の幾多の先人たちの間接的経験の知識に加え、学生時代の実習に始まり、日々の臨床体験を通じてクライエントから教えられ、クライエントの話を基に考察して得られる自身の直接的経験に照らして私たちは多様で雑多な最前線「なう」を位置づけます。


 国家資格の公認心理師が誕生し、心理学の世界は新時代を迎えたのかもしれず、その節目に、読者はそれぞれの臨床家としての立ち位置や現状を再確認して今後を自問されるのかもしれません。「心理臨床なう」の最前線報告と共有がその際のお役に立てば、編集委員の一人として幸甚で

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