〝集中できない〟から気づくこと

 ほとんどの人が、「集中できない」と感じたことがあるのではないでしょうか。一方で、「集中できている」と感じることは、ほとんどないのではないでしょうか。それはその時に何かに集中して取り組んでいるからでしょう。できているときには感じることのできない集中している状態、それを「できない」と感じるときというのは、一体どのようなときなのでしょうか。
 私の場合、“やらなきゃいけないこと”が思ったように進まないとき、他に気になることややりたいことがあって、目の前のことに取り組みにくいときに「集中できない」と感じているように思います。そう考えると、集中できないときは、自分の本心や本音と異なる行動を起こそうと頑張っているときなのかもしれません。つまり、集中できないときというのは、自分の本当の想いに気づくチャンスなのかもしれません。
 そうか、私は仕事をしたくなかったのか…。でもよく考えてみると、本当はしたいことなのに(少なくとも、したいことの周辺にはあることなのに)、それを“やらなきゃいけないこと”や“面倒なこと”にしてしまっているのは、自分自身なのかもしれません。何にしても、結果が出たり終わるまでは大変なこともあります。目の前にある大変さにばかり気が取られてしまって、結果的に「集中できない」と感じながら、ダラダラと取り組んでいるのかもしれません。
 何のためにやっているのか、やろうとしていることの本質は何なのか、「集中できない」と感じたことをきっかけに立ち止まって考えてみると、目の前の仕事や作業への捉え方が変わるように思います。仕事でなくても、例えば受験勉強。苦しいと感じる人の方が多いことかもしれません。しかし、今勉強を頑張っているのは、志望校で充実した学生生活を送るためかもしれないし、その先の望む将来像に近づくためかもしれません。そうしたことに思いをはせたとき、勉強に励む意味がわずかでも感じられれば、集中して取り組めるのかもしれません。

〝集中できる〟は作ることができる

 とはいえ、いつもこのような問答の末に集中力を取り戻せるばかりではないでしょう。
 集中できないときに、私は、短時間の休憩を挟むようプログラムされた音楽を流すことがあります。例えば、25分の作業と5分の休憩を音楽が変わることで区切り、繰り返すものがあります。一気に長時間の集中はできませんが、短時間の集中を繰り返すことで、結果的に作業の効率がよくなっているように感じます。
 この方法を始めてしばらくして、私はあることに気づきました。「あれ?私は音楽の区切り通りに作業をしていないのではないか?」最初の頃は、25分と5分の区切りに沿って、作業して、休憩して、また作業して、と取り組んでいたのですが、段々と、休憩用の音楽に変わっても、気づかず作業を続けていたり、時には音楽が切り替わったことに気づきながらも、「もうちょっとやってから休憩しよう」と作業を続けていたりする私がいました。おそらく、「これで集中できる」と思っている音楽を流すこと自体が、集中のスイッチを押してくれるようになったのだろうと思っています。直接的に集中力に作用する工夫もあるとは思いますが、「これで自分は集中できる」という信頼できる方法を取り入れることで、集中するモードに切り替えることもできるのかもしれません。
 “集中できない”とき、その後ろにある自分の本心に思いをはせてみる、あるいは「これで自分は集中できる」という方法を編み出し使ってみる、そんなやり方も試してみて欲しいと思います。

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