一二年間、年に四、五件の頻度で、「精神鑑定」の心理検査に携わっています。緊急事態宣言の間も、刑事裁判は「平常運転」ですから、「精神鑑定」も平時と変わらず行われています。違うのは、濃厚接触が避けられない中、被疑者も私も手をよく洗い、マスクをして、机の消毒をして臨むこと、くらいでしょうか。

鑑定助手のしごと―私の場合

鑑定助手としての私の任務は、次のような感じです。コンビを組んでいる鑑定医から協力依頼を受けたら、日程を打ち合わせて、被疑者の留置されている拘置所か警察署に心理検査用具一式を持って赴き、五時間くらいかけて七~一〇種類の心理検査を施行します。被疑者の状態によっては何回かに分けます。「包丁一本晒しに巻いて」の世界ですが、これは、鑑定医も私も今は病院勤務ではないためです。多くの場合、「精神鑑定」は大学病院で被疑者を鑑定入院させて行います。 どんな検査を実施するかは、調書を熟読し、既に何回か被疑者と面接している鑑定医からの情報を基に決めます。病院での実施と違い、一発勝負になることと、ミネソタ多面人格目録は鑑定医、WAIS‐III成人知能検査とウェクスラー記憶検査は、医学検(MRIや血液検査)のために赴く病院の言語聴覚士に施行してもらう関係で、必ずしも合理的でない順に施行せざるを得ないため、結構頭を使います。用いる検査は、医療機関や相談機関で使われているものと同じですが、多面的に見たいので、一回の鑑定で実施する検査の数は多い方だと思います。先に名前を挙げた検査の他にほぼ必ず施行しているのは、時計描画、HTP(家と木と人を描かせる)、ロールシャッハ(精神病性の知覚障害と思考障害が分かる)や、文章完成法(被疑者の言いたいことや自閉スペクトラム症者特有の言語障害が分かる)あたりでしょうか。こうして検査データがそろったら、さらに鑑定医が面接で得た情報や医学検査の所見も参考に、心理検査報告書を書きます。

そもそも精神鑑定って?

 精神鑑定って、刑法第三九条に、一.心神喪失者の行為は罰しない 二.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する、とあるので、弁護士が被告人の罪を軽くしようとして行うものでしょう、と思っておられる方もいらっしゃるかもしれません。でも、違うんです。一般に精神鑑定と呼ばれているのは、法律家と裁判員が、心神喪失か心神耗弱ではないかを判断するのに必要な知識を、精神医学の専門家が提供する刑事責任能力鑑定です。ですから、刑法第三九条は大いに関係あるのですが、鑑定を依頼する権限があるのは検察官か裁判官だけ。弁護士は精神鑑定の実施を要請することはあっても、主導することはありません。
 さて、刑事責任能力鑑定には、検察官が被疑者を起訴するかどうかを決めるために行う起訴前鑑定と、裁判が始まってから起訴前鑑定の結果が不十分だと感じられた場合や、鑑定せずに起訴された場合に裁判所の判断で実施される「公判鑑定」があります。そして、起訴前鑑定はさらに、勾留期間中に半日~一日で行われる「簡易鑑定」と、二カ月程度の鑑定留置期間を設けて行われる「本鑑定」に分かれます。「本鑑定」と「公判鑑定」は中身はほぼ同じで、複数回の面接、医学検査、心理検査、家族面接を実施して、鑑定医が鑑定書を作成します。このうち心理検査は、臨床心理士/公認心理師が鑑定助手として実施することが多く、実際、私が携わっているのも「本鑑定」と「公判鑑定」の心理検査です。

精神鑑定をめぐる人間模様

 精神鑑定の対象となるのは、裁判で責任能力の有無が争点になりそうな被疑者です。具体的には、犯行動機が分からない人、捜査中に奇異な言動があった人、精神科通院歴のある人などです。必ずしも重大事件の被疑者とは限りません。私が関わった事例も七割が新聞に載らないような事件の被疑者でした。統合失調症者が多いのでは、と思われるかもしれませんが、私の経験では「本鑑定」の事例で二人だけです。推測ですが、誰がどう見ても精神病状態という被疑者は、軽微な事件の場合は、警察官通報等で措置または医療保護入院になることが多いためだと思われます。なお、「簡易鑑定」で心神喪失とされ、不起訴になった事例は医療観察法の対象となります。
 実際に出会うことの多かったのは、事件としては「通り魔」「通り魔に類する面識のない人を襲撃した人」「自宅に放火した人」などです。少数の殺人事例は全例家族内殺人、「通り魔とそれに類する人」はほとんどが虐待サバイバーで、家庭が崩壊したため若くして自立を迫られた人たちでした。このことから分かるように、精神鑑定で出会う被疑者の多くは機能不全家庭の出身で、犯行時には外傷的育ちに起因する解離性障害、アルコール/薬物依存、パーソナリティー障害の状態にあるというのが典型でした。一方、長年のアルコール乱用でアルコール認知症になっている人を含む認知症、未治療の発達障害、脳の形態学的異常等、脳器質的な問題のある人も多く、育ちの問題と脳の問題が重なって複雑な臨床像を呈しているというのも常でした。なお、詐病(精神病だと偽ること)の可能性はいつも念頭に入れていますが、これまでのところ、詐病を疑う被疑者には会ったことがありません。

精神鑑定の未来―責任能力論を超えて

 鑑定医と議論を重ね、被疑者がどういう人なのかを描き出していくプロセスは、推理小説のような面白さがありますが、そこで毎回浮かび上がるのは、虐待や暴力といった人間性の負の側面です。被疑者が起訴された場合は、心理検査の報告書は、裁判関係者も読みます。特に裁判員は、責任能力の有無だけでなく、被疑者がなぜそんなことをしたのかを知りたいと望みます。ですから、報告書は、一般の人が理解できるような言葉で、証言台に立つ鑑定医が裁判関係者に被告人のこころの状態を分かりやすく伝えられるようにということも意識して書きます。ですが、それでも、裁判関係者の求める分かりやすいストーリーと、精神鑑定があぶり出す個々の被告人の錯綜したストーリーとの間のギャップは大きく、その間をどう橋渡しするのかは残された課題の一つです。
 もう一つの課題は、精神鑑定で得られた知見は、今のところ被疑者の更生には活かされていないということです。フランスでは重罪裁判所で審理する事例は全例、精神鑑定とは別に心理学者も心理鑑定を行い、裁判で証言すると聞きます。日本でも、最近は心理学者による情状鑑定が行われる例も出てきましたし、一部の受刑者や仮釈放者、刑の執行猶予者に、心理支援を提供することで再犯を防ぐ試みも定着してきました。精神鑑定も、こうした動きと連動して、責任能力の有無にかかわらず、被疑者が自分の抱える精神障害や心理的困難を理解し、回復に必要な支援にアクセスするきっかけとなっていくとよいと思っています。

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