自助グループに参加すると…
私は自助グループ(セルフヘルプ・グループとも呼ばれる)の研究をしています。これまでにアルコール依存、不安症、自死遺族の会を研究フィールドとしてきました。自助グループとは何かというと、同じ問題を抱えた当事者が支えあうことで問題の解決を図る治療的グループである。そして、その活動は当事者だけで主体的に行われることが原則である、という理解が一般的です。社会にはさまざまな問題があります。問題の発生はこれまで送っていたふつうの生活を一変させる非日常的な出来事でしょう。それは多くの人が送る日常から自身が切り離される出来事でもあります。お酒で生きづらさを紛らわす人は世の中にたくさんいますが、多くの人が節度を持ってお酒と付き合うことができます。生きる上で誰もが感じる「不安」を病的に抱えてしまうことも、大切な人を自死で亡くすということも、非日常的で非現実的な出来事かもしれません。問題を抱えた当事者はその問題ゆえに孤立し、孤独を感じることが多いのではないでしょうか。自助グループは日常から切りなされた人々の孤独を救う援助形態とも言えます。
自助グループに参加している多くの人は「こんな問題を抱えているのは自分だけだと思っていた」、「自分の悩みは誰にも理解されないと思っていた」と「過去」を振り返ります。ただし、ほとんどの参加者がその「過去」のさらに少し前のこととして「でも最初はここにいる人たちは私とは違うと思っていたんですよ」と注釈を付けます。これはどういうことでしょうか。自助グループに参加すると「同じ問題」を抱えた人に出会えて孤独感が軽減するのではなかったのか。
集団精神療法の治療因子「普遍性」
ところで、他者との出会いを通じて自分だけではなかったという思いが起こり問題改善に前向きになれるという治療効果を集団精神療法では「普遍性」と呼びます。そして、治療者はグループ参加者がこのような治療効果の恩恵を得るために治療初期に参加者の「共通点」に光を当てる介入が求められます。治療グループに参加する者は既に似たような属性をもっていることが多いわけですが、なぜこのような介入が求められるのでしょうか。メンバーのなかから自ずと凝集性が育まれてくるなら、それでいいのですが、それが(一番)難しいということの現れだと思います。抱える問題の詳細はケースバイケースですし、参加の目的、参加の経緯、職業、家族構成、年齢、性別なども違うからです。
自助グループも「共通点」という集団の力を活かして回復を志向しています。ただし、その実践は集団精神療法と異なる部分が多くあります。一番の違いは専門職の存在がいないことです。集団精神療法は基本的に専門職主導で行われているため、グループの凝集性を高める手助けを専門職がしてくれます。専門職に依存しない回復の姿と、専門職には手が届かないコミュニティとしての強みが自助グループの魅力なのですが、参加者は自分たちで難しい問題を乗り越えないといけません。
自助グループで問題から「回復」する難しさがここにあります。ある患者会では新規参加の40%が一年以内に退会しているというデータがあります。また日本で一番大きなアルコール依存症者の自助グループである「断酒会(公益社団法人・全日本断酒連盟)」のデータでも入会後三年経たずに退会してしまう者が多いそうです。
先達の実践では…
精神疾患の問題における自助グループの始まりはアメリカで結成されたアルコール依存症者の組織であるAlcoholicsAnonymous(通称:AAエーエー)であると言われています。AAは1935年のオハイオ州アクロンでビル・ウィルソンとボブ・スミスという二人のアルコール依存症者が出会い、支え合ったことから始まっています。現在では、AAは世界150カ国に200万人のメンバーがいると言われています(日本ではAAを輸入する過程で断酒会が生まれ、独自に断酒会が大きな組織になりましたが日本AAもあります)。ただし、ビルとボブがグループを作ってからはじめての参加者、つまり3人目は簡単に現れたわけではありませんでした。AAの初期活動の記録が残っています。ビルとボブが仲間を探しにある病院を訪ねたときのことです。
男の顔には、絶望の2文字が大きく浮かび上がっていた。男は言った。「そんなことなら無用です。僕を治せるものなんて、何一つないんです。もう手遅れなんですよ。これまで3回も退院の日に家に帰る途中で飲んでしまったんです。ここから外に出るのが怖いんですよ。いったいどうなっているのか自分でもわからないんだ」
ビルとボブは自分たちの「体験」を彼に聞かせます。すると彼は、「まさしくそのとおりです。あなたたちは確かによくわかってらっしゃる。でもだからどうなるっていうんです。あなたたちはきちんとしたりっぱな方だ。僕も昔はそうだったんだが、今じゃ落ちぶれて何のとりえもない人間になってしまった。あなたたちがおっしゃったことからも、僕はやめられないということがよくわかりました」と、返事をします。男は自分と2人の差異に強く反発します。この男には2人はお酒をやめて全うな社会生活を送れるようになった「りっぱな人」に見えたのでしょう(ちなみにこの男の職業は弁護士)。そんな人が入院中の自分に「おせっかい」を焼きに来ていると思ったのかもしれません。ただし、ボブは外科医だったのですが、この数週間前に手術前の手の震えを抑えるために執刀直前に飲酒しています。依存症者の典型的な再飲酒行動です。ボブは、このように他者に手を差し伸べることで自分の飲酒問題を克服している最中だったのです。
「同じ問題(仮)」からのつながり
ビルとボブは3日間、男に自分たちの「体験」を語り続けました。甲斐あって、やっと男は記念すべきAAの3人目のメンバーとなります。その後、活動は世界中に拡大しアルコール依存における精神医療の歴史を変えることになります。そんなAAでさえも活動初期には仲間を受け入れるということに多くの苦労を抱えていました。
自助グループという場所は「同じ問題」を抱えた者の集いですが、自助グループに参加する者にとって「同じ問題(多くの場合、病名とも言える)」は入り口に過ぎず、(仮)のつながりでしかないのかもしれません。はじめはアルコール依存症という概念的な分類での出会いがあります。しかし、その仮のつながりから「本つながり」へ至るのは病名というカテゴリーの奥にある多様な体験そのものです。
ゆえに、多くの自助グループは「体験」を語ること、それを聞くことを活動の中心に据えています。グループに蓄積された多様な生きづらさや苦しみが次の参加者をつなげていると言えます。さまざまな問題へ、人種も国籍も性別も職業も宗教も違う人々がつながることができる驚きの仕組みが世界中で行われています。