巻頭言として、果たしてこのタイトルがふさわしいだろうか。本誌は、明るい未来を思う高校生、大学生諸氏も読者とされている。まだ大きな喪失体験を持たない人びとにむけてのひと言……。年齢と経験を重ねた今、私は、恩師や同僚までこのところ数々の喪失に胸を痛めている。辛く哀しい。強いショックを受けたときは呆然自失してしまい、涙さえ流れてこない。その喪失に圧倒される。
この感覚を体験してあらためて、クライエントさんの深い傷を想う。その事態に向きあうことの怖さと闘うこころの声に耳傾ける。彼らの力で時間をかけて癒やし、回復したこころの力でまた歩み出す支援をしていくのは、心理臨床の仕事である。地道に丁寧に、言葉を通したセッションを重ねる。その時間の道行きの伴走をする心理臨床家は、それを生業とする以上修練を積むのである。
また、喪失するのは人だけではないだろう。住み慣れた土地や家、仲間たちと過ごす時間など、人が生きていく上で喪失はつきものなのかもしれない。それでも新たな出会いもある。そう考えると、私たちはまた、言葉をめぐる大きな喪失をしてきたことに気づく。
何か分からないことがあると、辞書を引いて調べ、当初の目的とは違うさまざまな言葉と出会う。それは、つい使って見たくなるような「おとな」の言葉たちであった。今は辞書を引かずとも、インターネットの検索で、何でも教えてくれる。用例集までついている。そうなると、辞書を引くわくわく感は、喪失してしまう。
心理臨床実践現場では、「間が持てない」人びととも出会う。即時即決を求めるあまり、相手の反応が遅いと過度の不安に陥ってしまい、こころがそれで一杯になってしまう。その不安やざわめきを言葉にしていくのは、簡単ではない。それでも自らの気持ちを言葉にする努力は、新たな自分の発見に繋がるだろう。AIをうまく仲間として迎え入れながら、現代を生きるため、思考、心に浮かぶイメージや想いを豊かにし、言葉にする力——想造——を育んでいきたい。