無意識は「脳のノイズ」にすぎないのか?

 心理臨床の歴史を振り返ると、「無意識」はその出発点の一つといえます。S.Freudは、夢や症状の背後に、意識されない心的過程が働いていると考えました。夢は「無意識への王道」であり、そこには抑圧された欲望や葛藤が象徴的な「暗号」として表現されるとされてきたのです。
 しかし20世紀後半、夢研究は科学の進展によって大きな転回を迎えます。レム睡眠(*1)の発見以降、J.A.Hobsonらは、夢を「脳幹(*2)からの自発的な神経信号が大脳皮質で統合・解釈された結果」であると捉えました。夢は何かを隠している暗号ではなく、脳の生理現象から生じるノイズにすぎないという立場です。無意識は、こうして科学の光によって一度は「否定された」かのように見えました。

夢を見る「システム」の再発見

 ところが、議論はそこで終わりませんでした。神経心理学者Mark Solmsの症例研究は、Hobsonの説に重大な疑問を投げかけます。
 脳幹が損傷してレム睡眠が消失しても夢を見る患者がいる一方で、前脳(*3)の特定領域が損傷すると、レム睡眠が保たれていても夢の報告が著しく減少し、ときには消失することが示されたのです。
 この発見は、夢が単なる「睡眠状態の副産物」ではなく、動機づけや情動に関わる脳のシステムによって生み出される可能性を示しています。
 古代ギリシャのアスクレピオス神殿では、治癒を求めて夢を待つ「籠夢(インキュベーション)」が行われました。夢を、生きる方向を探る営みの一部として捉える視点は、後述するSEEKINGシステムを考えるうえでも示唆的です。

「考える」よりも先に「感じる」意識がある

 近年のSolmsの理論は、ここからさらに一歩進んでいます。彼は、意識の最小単位を「情動(*4)(affect)」に求めます。
 意識の原型は、大脳皮質による言語的・論理的思考ではありません。空腹や痛み、不安や期待といった、身体から生じる「感じ(feeling)」こそが意識の原型であり、その基盤は脳の深部、特に上部脳幹にあると考えるのです。
 この理論は、Jaak PankseppのAffective Neuroscience(感情神経科学)と、哺乳類に共通する基本情動システムの研究に支えられています。

SEEKINGシステム:行動を駆動する源泉

 これらの中で特に重要なのが、中脳辺縁ドーパミン系(*5)と深く結びつく「SEEKINGシステム」です。
 これは特定の「快」を得ることそのものよりも、「何かを求め、期待し、探索しようとする動き」を生み出す回路です。私たちが「面白そう」「やってみたい」と感じて動き出す感覚は、このシステムの働きとして理解できます。
 臨床的には、生きにくさを抱えたクライエントに生まれる微かな好奇心を、回復や変化に向かう「生命のエンジンの再起動」と捉えることもできるでしょう。
 Solmsは、こうした感情神経科学の知見をもとに欲動理論を再定式化しました。欲動とは、無意識の奥底に潜む得体の知れないエネルギーではなく、私たちが日々「何かをしたい」と感じる情動であり、意識の源泉だというのです。

「イド」の再定義と、自動化される無意識

 ここで、従来の精神分析的図式は大きな反転を見せます。
 従来、イド(*6)は無意識的な欲動の領域と考えられてきました。これに対してSolmsは、「イドこそが意識、すなわち情動の源泉である」と捉えます。イドは暗い地下室ではなく、意識に生々しい実感を灯す「光の源」へと描き替えられたのです。
 では、無意識とは何でしょうか。
 Solmsは2021年の論文で、無意識的過程を、情動という意識の背景で働く「予測と調整の自動化」として捉え直しています。

脳は、生存上の課題を効率的に解決するため、過去の経験に基づく反応を自動化します。無意識とは、情動を調整する「学習済みの予測モデル(*7)」として理解できるのです。
 こうした情動システムについて、日本でも、Pankseppの理論に基づく心理尺度(ANPS)を用い、性格特性や自己愛との関連を検討する研究が進んでいます。

更新される「生きた無意識」とともに

 これまで見てきたように、意識の基盤を「感じること」に求める視点は、近年の神経科学において徐々に明確になってきています。
 映画『燃えよドラゴン』でBruce Leeが語った「Don’t Think, FEEL!(考えるな、感じろ)」という言葉は、こうした神経科学的理解とも響き合います。では、現代における「無意識のいま」とは、どのような姿なのでしょうか。
 ここで示したのは、「無意識の再配置」の一つの見取り図です。
 無意識とは、情動という確かな実感に根ざして生命を調整し、私たちの行動や価値を支える動的な基盤です。夢は、その情動的なドラマが夜の脳内で物語となる一場面と捉えることができるでしょう。
 心理臨床において重要なのは、精神分析やユング心理学のような象徴的解釈を取るか、神経科学的な還元を取るかという二者択一ではありません。クライエントが語る「意味」と、その背後で働く「神経過程」の双方を視野に入れることです。
 無意識は否定されたのではなく、より生命のリアリティに近い形で更新されつつあります。夢論争を経て浮かび上がるのは、無意識をめぐる問いが、いまなお臨床の最前線に息づく現在進行形のテーマであるという事実なのです。

●用語解説 
*1 レム睡眠:眼球運動が目立つ睡眠段階。夢はレム睡眠以外でも生じる。
*2 脳幹:呼吸や心拍など生命維持に関わる脳深部。
*3 前脳:大脳半球とその深部構造。認知、動機づけ、情動に関与する。
*4 情動(affect):身体状態に根ざした、思考以前の主観的な「感じ」。
*5 中脳辺縁ドーパミン系:探索や期待を駆動する神経回路。
*6 イド:本能的欲求の源泉とされる心的構造。
*7 予測モデル:経験から状態を予測し、誤差を調整する仕組み。

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