特集01: 社会的養護の心理臨床の魅力 アフターケアをめぐって
「いつまで関わるといいのか、どこまで関わることがいいのか——どうしたもんでしょうね」。これは、ある児童養護施設(以下、施設)のアフターケアを担当する職員の言葉です。社会的養護のケアを離れた子ども・若者(以下、ケアリーバー)のアフターケアとは、施設や里親宅を巣立ったあとの進学・就学・就労など多岐に渡る自立を目指した支援を指しています。ですが、施設によってアフターケアのあり方(内容・範囲・予算・対応可能な職員の配置状況)は一様ではなく、施設独自の考え方やアフターケアを担当する職員の采配によるところが大きいのが現状です。これに関連して、ケアリーバーを対象とした調査(井出・佐藤、2023)では「施設の心理療法担当職員がアフターケアの一環として一定の期間は心理的なケアを継続できるような取り組みについて検討することも必要だろう」といった意見もあります。
ところで筆者は施設の常勤心理職として、施設を巣立った後もケアリーバーらに施設内心理療法を提供してきた経験をもち、現在では施設の枠組みを離れ、継続的にケアリーバーらの心理支援を行っています。ケアリーバーを取り巻く課題には住居確保や就労、対人関係にメンタルヘルスと様々ですが、これらは一般の若者が社会で直面する困難と通底する部分も多いです。そこで家庭復帰や大学進学、就職といった人生の節目を契機に施設を巣立ち、心理療法もいったんの終結を迎えたケアリーバーらとの再会を通じて見えてきた、アフターケアにおける心理支援の課題に焦点をあててみたいと思います。
【就労不調:ケアリーバーA】
Aは就労を機に施設を巣立ち、様々な関係機関の見守りのなかでの自立へと移行していきました。真面目で従順なタイプでしたが、就労先での人間関係のもつれやパートナーとのトラブルが重なって無断欠勤が続き、そんな頃に筆者と再会しました。Aは些細な不安でもすぐに相談できる施設環境で育ったことに感謝しつつも「社会は施設とはちがう。困ったときにすぐ他人に相談するようじゃ社会では生きていけない」と思ったこと、真の自立は「誰にも頼らないで生きること」だと考えていた経緯を淡々と語りました。〈話がしたいって頼ってくれてよかった〉と筆者は応じ、不安を言葉にできることはAの強みであること、真の自立に向けてAなりの自立が何なのかを一緒に考えて行くのはどうかと提案しました。しかし一方で筆者は、一定のめどをもって施設を巣立ったAに再び寄り添うということについて、見通しのもてなさと途方も無さを感じました。
【育児不安:ケアリーバーB】
「自分のような体験をさせたくない」と強く決意したうえで、自身の親の養育態度に長く不満を抱いていたケアリーバーのBは親になるという選択をしました。ですが、その後は育児や家事を順調にこなす見知らぬ人のアカウントを見ては落ち込むようになりました。さらに落ち込む様子を子どもに見せてしまうと「(こんな姿を見せてしまう)自分は親として失格だ」という罪悪感に苛まれ、自身の幼少期の記憶を呼び覚ましてしまいます。初めての育児は誰にとっても大変なのですが「理想の親像」というものにBが抱く複雑な想いに、筆者は何もできない無力感を覚えました。
アフターケアでたいせつなこと
このようにアフターケアにおける心理支援には、多様な葛藤が生じます。そしてAやBのような場合もありますが、いろいろあってもそれなりに自立生活を送っているケースも多く、そんなケアリーバーらと昔話に花が咲く瞬間は、何にも代えがたい気持ちになります。脈絡もなく「ねえ、あの日のあれ、覚えてる?」〈覚えてるわ、忘れるわけないやん〉といった対話ができることは、長く関係が継続しているからこそのやり取りであり、そうしたやり取りはその後の関係維持につながります。また、あまり知られていませんが、ケアリーバーの大学・短大、専門学校への進学率はこの20年ほどで増加傾向を辿っています。ですが一般家庭のそれと比較して退学率も高いことが課題であり、修学不調に陥った際にどのようなサポートが得られるかがカギになります。そこで、そのヒントとなる大学進学~修学継続~卒業、を果たしたケアリーバーらを対象とした調査(樋口、2024)では、「適切な情報提供」・「支えとなってくれる他者の存在」が共通点であることが分かりました。この2つはいずれも「相手を信頼する」ことで可能になります。「相手を信頼する」とは、「この人なら大丈夫だ」「この人となら安心だ」と感じられる気持ちが定着し、内面に根付くことです。そのためにもまずは我々大人が彼らを信頼し、そして彼らからの信頼に足る大人であるよう、常に努力を重ねる必要があります。
現在では支援を後押しすることを目指し、これまで利用されてきた児童自立生活援助事業などのほかに、2024年からは社会的養護自立支援拠点事業がスタートするなど、さまざまな制度が整備されてきています。こうした体制の進展は喜ばしいことですが、制度の扱いにくさや隙間があることも事実です。ですが、ケアリーバーにとって提供されるべきアフターケアを適正に知る機会があることや、彼らが信頼できそうだと思ってくれる大人が関係維持できるよう、やれることに誠実に取り組むことが、アフターケアではないでしょうか。何よりケアリーバーであるか否かに関わらず、支援とは必要に応じて誰でも受けられるべきでもので、受けることは生きとし生ける者、誰もが等しくもつ権利です。そしてアフターケアは自分には特に必要ではないとケアリーバーが判断すれば、先ずはその選択を信じる力が支援者には求められます。
おわりに
アフターケアの難しさは、「どこまで支援するか」だけではなく、「どの状態を自立と考えるのか」でしょう。そんなときにふと筆者は「そもそも彼らのことをいつまで“ケアリーバー”と呼ぶのだろう」と思います。ケアリーバーという事実は続くのかもしれませんが、我々がずっとケアリーバーと呼ぶことは真実でないように思います。手を引くという意味ではなく、何かあっても・何もなくてもやり取りは可能である、と共有できることが本来のアフターケアではないでしょうか。
なぜなら社会的養護のケアを離れた子ども・若者にとって、施設を出たあとの人生の方がよほど長いのですから。
*本稿の事例は当人らに許可を得たうえで、複数の内容を組み合わせています。