特集01: 社会的養護の心理臨床の魅力 児童心理治療施設で働いて感じること
児童心理治療施設について
児童心理治療施設(旧、情緒障害児短期治療施設)は虐待や不登校、その他家庭内の問題などにより、日常生活に生きづらさを抱える児童が入所あるいは通所し、生活指導・心理治療を行う施設です。特徴として、地域の学校の分校・分教室が併設され、児童指導員・心理士・医師・教員などの専門職が連携をとりながら一人の子どもの生活を支える『総合環境療法』の仕組みをとっている点が挙げられます。
また、私が働いている桜学館では、心理士は子どもへの個別心理療法の実施の他、子どもの生活場所(ユニット)に入り、児童指導員と協働して日常生活の支援も行っています。心理療法以外の時間を子どもはどう過ごしているか、生活場面と心理療法場面での子どもの変化がダイレクトに感じることができる環境です。
入所児童は全員週1回の心理士による個人心理療法(セラピー)を受けます。規則正しい生活が送れるよう、日課が明確に決められ、施設外に自由に出られない構造化された生活環境になっています。これは地域社会の中では不適応を起こしてしまう子どもが、より限定的な施設の環境の中で人との関係性や学習、保護者との関係調整を行うための治療的な枠組みなのだと理解しています。
子どもを「治療する」ということ
私が児童心理治療施設に入職したばかりの頃、「治療」という言葉に違和感を抱いていました。治療計画に基づいて、長期目標と短期目標を定め、どのようにアプローチするか、実際に治療がどこまで進んでいるかを明確にすることを求められました。心理療法の経過はそう計画通りにいくものではないという若手の反骨精神というのもあったかもしれませんが、治療というからには、施設に入所する子どもは、どこか悪いところがあって、それを取り除くことが必要なのだろうか、入所している子どもを見ているととてもそうは思えませんでした。ある子どもは不安から自分を守るための手段として、人をにらみつけたり、強い口調で罵ったり、物を投げたり、叩いたりします(私自身、噛みつかれて怪我をすることもありました)。そんな子どもが夜寝る時になると、布団でくるまれることの心地よさを求めます。自分だけのミニチュアの家を作ってその世界の中に私の部屋を作って、嬉しそうに見せてくれます。
攻撃的な自己防衛などの周囲を困らせる行動面だけをみると、暴力や暴言といった「問題行動」であり、それをしなくなるのが治療目標なのかもしれません。ただ、人との関わりを求め、それを心地よいと感じる子どもをみていると、そういった行動をとるのには、それなりの理由があるのだろうと考えます。子どもに病気や問題があるわけではなく、様々な不安に対処するために一生懸命で、それが社会的には不適応な対処であっても、本人にとっては社会に適応するための行動なのだと思います。そういった子どもに必要なのは、問題を取り除く治療(『cure』)ではなく、安心を感じられる手当てという意味の治療(『care』)なのだと思います。その安心感を基盤として、誰かに攻撃的になったり、ふさぎ込んだりする行動を子ども自身が手離せるようになっていくのでしょう。
子どもの成長を支えるために
施設に入所している子どもは、相手との安定した関係性を求める一方で、それが維持されるということに大きな不安を持っていることがよくあります。そういったことは、相手の言動に対して過度に被害的になって攻撃的な言動を示したり、相手と親密な関係になることを避けて表面的な関わりになったり、セラピーをキャンセルするなどの行動として現れます。愛着、発達障害、トラウマの影響と課題は複雑で、『これが原因でこの行動につながっている』などと単純に考えられません。それでも支援者は子どもの行動を理解しようと試みます。家庭や地域で傷ついてきたということだろうと分かっていても、支援者には身体的にも精神的にも負担がかかり、子どもに対してネガティブな感情を抱いてしまうこともあります。そのため、支援者自身も支えられるチームアプローチができることが非常に重要になってきます。児童心理治療施設には、児童指導員、心理士などの職員の配置基準が多めに定められています。複数の大人が一人の子どもに関わることができ、心理療法においても他の心理士や生活職員との情報共有や相談を通して、自分自身の感情に巻き込まれず、一人で抱え込まない支援ができます。多職種連携が基本となる職場で、私自身も様々な専門職と協働しながら(心理士としてのアイデンティティに悩みながらも)子どもの支援に携わってきました。そうでないと、子どもの成長を支えることはできないとも思っています。
おわりに
「児童心理治療施設は児童福祉の最後の砦です」。これは桜学館の前施設長である児玉俊郎先生の言葉です。地域や家庭レベル、あるいは地域社会とつながりの深い児童養護施設では十分に支えきれないケースにおいて、治療的なかかわりを通して子どもの成長を支える児童心理治療施設の心理支援は大変ではあります。しかし支援を必要とする子どもや家庭の受け皿として、社会には必ず必要であり、それ故にやりがいのある仕事です。分離不安の強い子が夜安心して一人で寝られるようになったこと、集団の活動に全く乗ろうとしなかった子が学校行事で前に立って歌を歌えるようになっていたこと、勉強に集中できず落ち着かない子が宿題に静かに取り組めるようになったこと。その子にとって居心地のよい生活環境と二者の関係性が整えば、子どもは確実に成長していきます。仕事をする中でその瞬間に何度も立ち合ってきました。そして施設を退所していき、地域の高校に通い、仕事が決まったと施設に挨拶に来てくれる子もいます。その時の立派な姿を見ると、やはりこの仕事を続けてきてよかったなと思います。勿論生活場面だけでなく、心理療法の中でも、自分や大人へのネガティブな見方が言語や遊びの表現の中で少しずつ変化してきたなと感じられることなどをよく経験します。日常生活の中での支援と心理療法の中での子どもの変化を支援者間で共有し、ともにうまくいかないことに悩んだり、成長を喜ぶことが、子どもの成長を支えることにつながるのだなと感じます。
また、子ども以外にも、保護者自身が十分にケアをされてきていない(虐待の世代間連鎖による傷つきや精神疾患を抱えている)まま親になっているケースが増えてきており、保護者への心理的な支援の必要性も増してきているように感じます。入所する子どものみならず、子どもを取り巻く環境そのものや保護者への支援を通して、子どもや家族が将来に希望を持ち、成長していく過程に寄り添うことが、児童心理治療施設ではたらくということなのだと思います。