特集01: 社会的養護の心理臨床の魅力 母と子と私の経験から魅力を見つめる
私にとって母子生活支援施設の魅力を書き表すことはとても難しいことです。その魅力を見つめるにあたり、これまで出会ってきた母子との思い出を振り返る必要があるからです。私の場合、母子との思い出は深い哀しみや後悔と共にあり、こうした気持ちは出来れば感じたくないものです。ただ、今はまだ言葉に出来ないその魅力はおそらく、私が母子との仕事を続ける理由であり、私が自身の人生に求めているものと関わっているのだと思います。私はこれからここで母子との思い出を見つめ直すことを通して、私の感じる母子生活支援施設と心理臨床の魅力を探索していこうと思います。
母と子を見つめる
施設で暮らしている母子の中には、入所までに非常で過酷な体験をして来られる方々がいます。心身の暴力に晒され、自身の人生を支配され、あるいは大切な人に見捨てられ、生活に必要なお金もままならない、このような母子にとって、自身を見守る愛情あるまなざしが自身を蔑み、搾取を企み、危害を加えようとする目として感じられてしまうことがあります。また、そうした愛情あるまなざしに気が付かず孤独な世界に佇んでいるようなこともあります。こうした世界観は母子を想い支援する職員との関係にも影響を与えてしまい、職員からの保護と支援を安心して受け入れることが難しくなってしまうこともあります。より残酷に感じられるのは、お互いに愛し合い、想い合っていたはずの母と子でさえも、それぞれに向けられたあたたかなまなざしがいつの間にか自身を苦しめてくるそれとして感じられお互いに傷つけ合ってしまうような場合です。自身に向けられた愛あるまなざしに気が付かないときには、母子は一緒にいながらも孤独になってしまうこともあります。私はこれらのような光景を見る度にとても切ない気分になります。
私を見つめる
私の場合、母子との出会いの始まりの多くは子どもがきっかけでした。子どもの暴力的言動、不登校状態、幼稚園や学校あるいは施設内の学童保育における不適応など、理由はさまざまですが、そのことに悩むお母さんや施設職員が心理職である私に相談をしにきてくれました。子どもとのプレイセラピーが始まると、間もなく私は身体や心に危害を加えられてしまうような怖さを抱いたり、止め処なく繰り広げられる遊びを前に頭を働かせることが出来ず混乱してしまったり、はたまた、何回も会って信頼を得ることが出来ているだろうと思っていたら突然会うのを拒絶され気分が落ち込んだり、どれだけ手を尽くしても子どもの心や母子の関係が破綻していってしまう様を目前にして胸が張り裂けそうになったり、私は子どもたちとの間でいろいろな気持ちを体験してきました。そしてこのようなことは当然お母さんたちとの関係でも私はたくさん体験してきました。つい最近の出来事に限らずそれぞれの体験は今でも鮮明に思い出すことが出来、思い出せばその度に胸が締め付けられる思いになります。そして、「あの時、もっとこうしていれば良かった」と自分自身の行いについてたくさんの後悔が押し寄せてきます。こうした後悔は自身への非難へと移り、時に、自分の心の中に収まりきらず、「母子や同僚は私を非難しているのでは」「心理療法は何の役にも立たないのでは」などという不安に取って代わられることもあります。このような不安に苛まれると職場である施設に行くことが億劫で憂うつに感じることさえあります。それでも私はこうした気持ちを何とか携えながら母子との仕事を続けてきました。きっと私は施設での心理臨床がこうした居心地の悪さや、苦しい気持ちばかりを体験する場ではないことをどこかで知っていたのでしょう。
美しく尊い光景を見つめる
心理臨床の過程は一進一退でとてもゆっくりとした流れで、且つ、ときには母子も私も非常で過酷に感じられる体験を経ることもありますが、それでも振り返っていると確かな良さがあったことを思い出すことが出来ます。たとえば、人の言葉を落ち着いて聞くことが出来ず残虐な遊びばかりを繰り返していた子どもがふと目の前にいる大人が頼りになり甘えることの出来る存在であることに気が付いて喜びをあらわにするようなとき、周りの人を信用することが出来ず我が子すら信用することが出来なくなっていたお母さんが子どもから向けられている愛情に気がつき安堵して涙を流すようなとき、母子の心と関係がバラバラになってしまったと絶望していた中でそれぞれの心と関係が再生していく様に出会うとき、そのような光景は私にとってとても美しく、尊く感じられるもので、このような光景を振り返ると今でもそのときの感動が私の心を満たしてくれます。そしてこのことは、どうやら私だけの体験ではないようで、母子と私のやりとりの中でその感動は共有され、共に思い出して味わうこともあり、この思い出はたとえとても大変な状況の最中であっても心をほっと落ち着かせてくれますが、美しく尊い光景は私にとってだけでなく、私と母子にとっての魅力と言えそうです。
母子生活支援施設と心理臨床の魅力を見つめる
私は心理臨床において母子のありのままの気持ちを見つめ、受け止め、そこから母子に役立つような何かについて考えようと努めています。非常で過酷な体験を経てきた母子にとって自身らを見つめるその目はこれまで自分たちを苦しめてきた第三者の目を喚起することさえありますが、一方で、母子らを見つめる目は母子の体験や気持ちを安全に受け止める目、安心感と共にそれまでになかった新たな視点を提供する目となることがあります。私は、このような目との関係を母子のどちらかだけが体験するのではなく、母子が一緒になって体験し、一緒になって新たな体験を創出し、一緒になって人生の基盤を再生し得ることが、母子生活支援施設と心理臨床の魅力であると今実感しています。そしてこの目の体験は母子に限られたものではなく、私もまた、子どもとの関係が不穏なときには穏やかに見守るお母さんの目に、お母さんとの関係が不安定なときには私の良さを見出してくれる子どもの目に支えてもらうようなこともありました。職場の同僚の目もまた、私の不安や涙を受け止め、新たな視点を提供し、私の仕事を支えてくれました。今回、ここで母子生活支援施設と心理臨床の魅力を探索するにあたっても私は、私の文章をあたたかく見つめる読み手のことも想像し、その存在がいることを期待し、そのことで支えられたところがありました。母子生活支援施設と心理臨床は、私自身も母子と一緒に、体験や気持ちを安全に受け止め、安心感と共に新たな視点を提供してくれる目との関係を築いていく場なのかもしれません。これもまた私にとっての魅力なのだろうと思います。